2026年7月19日



「悔い改めて福音を信じる」(要約)

聖書箇所: マルコの福音書1章12〜15節


1、イエス様は私たちのためサタンの誘惑を受けられた 天地万物を創られたまことの神が、人となってこの世に来られました。それがイエス・キリストです。イエス様のこの世での生涯は、徹底して私たち人間を罪と死と悪魔の支配から救うためでした。サタンの誘惑を受けられたのもそのためです。イエス様は父なる神様のみ旨に従い、荒野でサタンの試みを受けられます。 かつてサタンがエデンの園でアダムとエバを誘惑し、二人は真理から迷い出て罪を犯しました。同じようにサタンはイエス様を誘惑しますが、イエス様は、聖書のことばでそれに答え、サタンを退けられました。ここに私たちの希望があります。財産やお金、名誉や地位など様々なものが私たちを誘惑しますが、どのような状況であっても、イエス様は、信じる者のうちにおられ、イエス様に信頼する時、誘惑に勝たせてくださるのです。

2、イエス様の福音宣教

「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」というみことばは、マルコの福音書の中心聖句です。「時が満ち」とは、旧約聖書で預言されていたその時が来たということです。「神の国が近づいた」とは、預言者が預言した神の国、「人々が神のご支配と恵みのもとで、神の秩序を喜びながら新しいいのちを生きる国」が来たという宣言です。イスラエルの人たちが長く待ち望んでいたその時が来たというこの宣言に、人々は驚いたことでしょう。

イエス様は、「悔い改めて福音を信じなさい」と告げられます。「悔い改め」の意味は、一つ一つの罪を認めて改めるということではなく、自分が罪を犯してしまう存在であることを認め、罪からキリストにある神様の約束に、心の向きを変えることです。 ルターは、始め「罪の悔い改め」を「ある程度まで心の痛みを体験すること」と考えていましたが、その後このことばの正しい意味を発見します。それは「全く違った心の態度を取れ」、「心を変え、心を新たにすることによって造り変えられること」です。1518年春、彼は、「これまでは悔い改めという言葉ほど、聖書の中に苦々しい言葉はなかったが、今やこれほど甘く、感謝に満ちた響きを持つ言葉は無いようになった。」と指導教師に書き送りました。悔い改めが「甘く、感謝に満ちた響きを持つ」のは、この言葉が、神の恵みが人に望み、神様が人の心を変えて下さることを意味するからです。

キリストにある神の約束とは、福音(ギリシャ語で「良い知らせ」)です。15節にある福音は、神様が預言者を通してイスラエルに与えられた約束の時がついに来たことを意味しますが、もう一つの意味は、イエス様の教え、癒しのみわざ、十字架、復活、すなわちイエス様のことばとみわざのことです。この場合、福音を信じるとはイエス様を信じることです。

ルカの福音書18章18節から23節に金持ちの役人の話があります。彼はイエス様に永遠の命を自分のものにするにはどうしたら良いか尋ねました。その彼に、イエス様は十戒を示します。彼の心が財産に囚われていたからです。イエス様は彼に、十戒で自分が罪を犯してしまう存在であることを認め、心を方向転換して、ご自分に従うように言われたのでした。 悔い改めて福音を信じるには、自分が大切に握りしめているものを一旦手放さなければなりません。ここに律法の存在があります。律法がなければ、自分の行動や言葉が罪であることを自覚できません。神様のことばである律法の前に立つとき、私たちは、自分が罪人に過ぎないことを自覚します。その時福音がやってきます。

3、礼拝の心

悔い改めは、礼拝をするときの心でもあります。静まって神の前に立ち、心を新たにさせて頂いてキリストの福音を聞くとき、神様から恵みが与えられます。十戒と福音は信仰の真棒です。十戒と福音をはっきり持つ教会を建て上げていきましょう。


説教者:加藤 正伸 長老



<マルコの福音書1章12〜15節>

12 そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。

13 イエスは四十日間荒野にいて、サタンの誘惑を受けられた。野の獣とともにおられたが、御使いたちがイエスに仕えていた。

14 ヨハネが捕らえられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。

15 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」