2026年5月24日
「御霊に導かれて歩む」(要約)
聖書箇所: ヨハネの福音書16章7節〜15節
霊の話しというと、よくわからない方は、死者の霊、怨霊、悪霊、占いやまじないを想像するかもしれません。しかし聖霊は全く違います。聖霊はまことの神様です。まことの神様は三位一体の神様。父なる神様、子なる神様、聖霊なる神様。聖霊は私たちを慰め、助け、真理に導いてくださるお方です。
1、聖霊はどのように私たちに働かれるのか
聖霊はどのように私たちを導かれるのでしょう。聖霊は、教会や友人や知人を通して私たちを教会に導きます。そして福音の説教を通しキリストを信じる信仰に導き、洗礼を受けたいという思いを与え、洗礼に導きます。洗礼によって、聖霊は私たちの心のうちに住んでくださいます。
また聖霊は、信じた者に教会生活を与えて下さいます。福音の説教と聖餐式を通して、日々の罪の赦しと聖めを与えて下さいます。主イエスを信じる他のクリスチャンとの交わりを与えて下さいます。聖霊は、日々の生活の中で、信徒を慰め、励まし、罪を指摘し、様々な困難や危険から助け出してくださいます。そしてキリストが再臨されるとき、私たちに永遠のいのちに預かる復活のからだを与えて下さいます。
2、聖霊の働きとは何か?(ヨハネの福音書16章1節〜15節)
最後の晩餐のとき、イエス様は、ご自分が弟子たちから去っていくことを話されました。イエス様を心から信じ、信頼していた弟子たちは非常に悲しみます。しかしイエス様は、ご自分が去っていくことは弟子たちにとって益になると話します。キリストの死と復活は、キリストを信じる全ての人に罪の許しと新しいいのちを与えるからですが、弟子たちはそのことを知りません。
この時、イエス様は弟子たちに、聖霊はどのような方なのか話されました。1つ目は世の誤りを明らかにするお働き(8節から11節)、2つ目はすべての真理に導かれるお働き(13節)、3つ目は、イエス様の栄光を現すお働き(14節)です。
聖霊は、罪について、義について、裁きについて、世の誤りを明らかにします。罪についてとは、私たちが自分の罪に気づかず、自己中心的に生きていることに気づかせてくださるということです。義についてとは、イエス様が去られた後、イエス様が語られた言葉やみわざが正しかったと言うことを、聖霊が証明するということです。さばきについてとは、この世を支配する悪魔は既に裁かれていることを、聖霊は明らかにされるということです。
2つ目のすべての真理に導かれるお働きとは、弟子たちがキリストの死と復活の意味を理解するように導くこと、またイエス様が教え、話されたことを弟子たちが思い起こすようにされることです。同じように、聖霊は、教会で語られる福音と聖礼典を通して、私たちにイエス様が教え話されたことを思い起こさせてくださいます。
3つ目のイエス様の栄光を現す、すなわち「わたしのものを受けてあなた方に知らせる」とは、イエス様が神様から受けた啓示を、聖霊がイエス様から受けて弟子たちに知らせることです。
聖霊は控えめな神様です。ご自分が栄光を受けることを望まれません。聖霊自身があがめられるのではなく、キリストがあがめられるようにされるのが聖霊の働きです。
人は、神様に清潔の生涯を歩むように造られました。しかしアダムが罪を犯したので、すべての人間が原罪を持って生まれてきます。人は清潔の生涯を歩むことができません。しかしその私たちのために、イエス様が「罪深い肉と同じような形」をとってこの地上に来てくださり、十字架の上でその命を献げて下さいました。イエス様の死は、罪を完全に打ちのめしたのです。このイエス様の勝利は、イエス様を信じるすべての人のものです。また復活されたイエス様は私たちに御霊を遣わしてくださいます。私たちは御霊によって清潔の生涯を歩むのです。
3、御霊に導かれて歩む
しかし、この聖霊の働きを妨げるものがいます。私たちの肉の思い、この世、悪魔です。肉の思いとは、他の人に対する妬みや怠惰な気持ちです。この世とは、キリスト教に対する偏見、罪を問題としない風潮です。また悪魔は、何とかして聖霊の働きを妨げようとします。人がイエス様のもとに行くことを妨げます。私たちは多かれ少なくれこのような誘惑や罪と戦いながら生きています。
でも大丈夫です。キリストが来てくださったのはその弱いあなたのためです。そのためにイエス様は十字架の上でご自分の命を捨てられたのです。この御子イエスのもとに、聖霊はあなたを導いてくださいます。
4、勧め
今、あなたの目の前に何か大きな問題があるでしょうか?バビロン捕囚から帰還後、神殿再建に取り組もうとする総督ゼルバベルについて、主はゼカリヤに言われました。ゼカリヤ書4章6節。「これは、ゼルバベルへの主の言葉だ。「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。」と、万軍の主は仰せられる。」これは、権力でも能力でもなく聖霊によって、ゼルバベルに神殿再建の力が与えられるということです。
聖霊に導いて頂きましょう。十字架のキリストを見上げ、歩んでいきましょう。
説教者:加藤 正伸 長老
<ヨハネの福音書 16章7〜15節>
7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。
8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
9 罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。
10 また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。
11 さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。
12 わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。
13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
14 御霊はわたしの栄光を現します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。
15 父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。