2025年11月16日
「幼子の信仰と隣人愛」(要約)
新約聖書:マルコの福音書 10章13〜16節、9章30〜37節
1、幼子の信仰
「子どもの祝福を求めた人々」(マルコの福音書 10章13〜16節)
人々が、自分の子どもたちを、イエス様に触っていただこうとして連れて来ると、弟子たちは彼らを叱りました。忙しいイエス様は子どもを相手をしている暇はない、と思ったのでしょうか。それをご覧になったイエス様は憤り、「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。...子どものように神の国を受けれるものでなければ、決してそこに入ることができません。」と言われました。そして子どもたちを抱いて、彼らの上に手を置いて祝福されました。イエス様が憤ったのは、弟子たちが、子どもたちをイエス様に近づけさせないようにし、イエス様から祝福を受けるのを妨げたからです。ところで「神の国はこのような子どもたちのもの」とはどのような意味でしょう。
詩篇8篇2節で、ダビデは、「幼子たち乳飲み子たちの口を通してあなたは御力を打ち立てられました。あなたに敵対する者に応えるため復讐する敵を鎮めるために。」と言いました。
またイエス様は、エルサレムに入場した時、律法学者やパリサイ人たちにこの詩篇を示し、宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と叫んでいるのは、ご自分のことであると言われました。(マタイの福音書21章16節)
「神の国はこのような子どもたちのもの」とは、キリスト信仰は学者とか宗教家ではなく幼児によって告白されるということです。幼児のようにまことの神を素直に信じる信仰こそ神の国に入る条件です。詩篇 8 篇 2 節にあるように、この幼子の信仰は、神様に敵対する者を退けます。クリスチャンはこの信仰で「主の祈り」を祈るのです。
2、隣人愛
「御国で偉い人は誰か」(マルコの福音書 9章30〜37節)
ある日弟子たちは、イエス様の後を歩きながら、弟子の中で誰が一番偉いのかと論じ合っていました。その弟子たちにイエス様は、「誰でも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりになり、みなに仕える者となりなさい。」と言われます。これは、リーダーは皆の世話をよくしなければならないという教訓ではありません。
イエス様は、一人の子どもの手をとって、真ん中に立たせ、腕に抱いて言われました。
「誰でもこのような子どもたちの一人を、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。また、誰でもわたしを受け入れるならば、わたしを受け入れるのではなく、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」
子どもとは、誰かに依存しなければならない弱い存在です。見返りを求めることはできません。そのような子どもを受け入れ、仕えなさいとおっしゃられたのです。仕える側は、自己目的や自己実現のためではなく、その人のために良いことをすることだけを目標にするのです。これが信仰から出てくる隣人愛です。この世の価値観とは全く反対です。
イエス様を信じて神様の恵みに満たされると、自由な心で他の人のために良いことを行うことができるようになります。常に誰かの世話にならなければならない重度の障害者や、精神的な病気のある人、貧困者、戦争で悲惨な状況にある人々を支援するクリスチャンの団体は、この信仰を活動の土台にしています。
3、イエス様の弟子として歩む
イエス様は、私たちの罪をその身に負って十字架で死んで下さいました。こうしてイエス様は罪人である私たちへの神の怒りをなだめて下さいました。誰でも救い主イエス・キリストを信じるならば神の子です。幼子の信仰で、神様に信頼していきましょう。
説教者:加藤 正伸 長老
<マルコの福音書 10章13〜16節>
13 さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
14 イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
15 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」
16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。
<マルコの福音書 9章30〜37節>
30 さて、一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。イエスは、人に知られたくないと思われた。
31 それは、イエスは弟子たちを教えて、「人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。しかし、殺されて、三日の後に、人の子はよみがえる」と話しておられたからである。
32 しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。また、イエスに尋ねるのを恐れていた。
33 カペナウムに着いた。イエスは、家に入った後、弟子たちに質問された。「道で何を論じ合っていたのですか。」
34 彼らは黙っていた。道々、だれが一番偉いかと論じ合っていたからである。
35 イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」
36 それから、イエスは、ひとりの子どもを連れて来て、彼らの真ん中に立たせ、腕に抱き寄せて、彼らに言われた。
37 「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。また、だれでも、わたしを受け入れるならば、わたしを受け入れるのではなく、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」