2025年11月2日



「まことの平和をもたらす主キリスト」(要約)

新約聖書:エペソ人への手紙4章1〜7節



1、召しにふさわしく歩む

4章1節で、パウロはエペソ教会の信徒たちに「召されたその召しにふさわしく歩みなさい」と勧めています。「召し」とは、神様が、罪ある人を、イエス・キリストによってご自分の子にするためにキリストの王国に招いてくださったということです。では「召しにふさわしく歩む」とはどういうことでしょう。努力して「謙遜、柔和、寛容、耐え忍」ぶことでしょうか。

当時のギリシャ人にとって、謙遜は徳(多くの人にとって高い人格的目標)ではありませんでした。キリストにあって美徳となったのです。なぜなら、キリストの生涯は、私利私欲のない奉仕であり犠牲だったからです。ピリピ人への手紙2章6?8節にあるとおりです。柔和とは、聖書では、自分自身に向けられている侮辱や中傷、攻撃があっても、あるいは自分に様々な考えがあっても、全体の徳を高めるため、必要な目標にただひたすら歩む姿勢のことです。寛容とは、聖書では、人間に対する神の忍耐を言います。またそれに対応して、クリスチャンが他の人から悪いことをされたときにその復讐を遅らせることや傷つけられても攻撃しないことを言います。忍び合うとは、お互いの弱さを補い合うことであり、隣人や友人に、憤慨させられ不機嫌にさせられるような欠点があっても愛することをやめないことを言います。

このように「謙遜、柔和、寛容、忍耐」はキリストのご性質なのです。「召しにふさわしく歩む」とは、3章18節と19節にあるように、クリスチャンが、キリストの愛に満たされて、うちに働く神の力によって歩むこと、すなわちキリストのご性質に心をとめて歩むことです。


では、どのようにしたらクリスチャンはキリストのご性質に与れるのでしょう。第一に、キリストを信じたクリスチャンの内にある、まだ死に切れていない「古い人」があること、罪やこの世の誘惑にひかれる思いがあることを認めることです。第二に、キリストに祈ることです。祈りとは、「私たちがイエス様を動かすのではなく、イエス様が私たちの心を動かして祈らさせてくださるもの」(ハリスビー「祈りの世界」)です。まずイエス様が心の扉を叩かれ、クリスチャンの心に入りたいと知らせてくださる。そのことに応答するのが祈りです。第三に、キリストにつながることです。クリスチャンにとって大切なのはいわゆる道徳ではありません。信仰によってみことばからいのちを受け取ることです。キリストに、キリストにある謙遜、柔和、忍耐を祈り求めていくということが「召しにふさわしく歩む」ということです。


2、御霊による一致

皆さんにも、学校のクラスで、皆が気持ちを1つにして出し物を成功させたことや、仕事で一緒に頑張ってプロジェクトを成功させたこと、共通する趣味で一緒に喜んだ経験があると思います。人々が一致して何かに取り組み、社会的に価値ある何かを達成するのを見ると感動します。

しかしキリストにある一致は、それよりはるかに勝っています。なぜならキリスト教会には、一人ひとりの気質、社会的背景、人種を超える霊的現実、強みがあるからです。キリストは、人と人の間にあるすべての壁を打ち破り、敵意を廃棄し、平和をもたらします。クリスチャンにとって「主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つ、ただひとりの神」です。クリスチャンは、1つの御霊において同じ父なる神の御元に近づくのです。この一致は、人の行いによって造られるものではありません。教会の一致は、クラス会や会社や趣味の仲間のそれと決して同じではありません。


3、いのちある信仰

形だけの謙遜、柔和、寛容、愛にはいのちがなく、いつか枯れてしまいます。しかしキリストは「いのち」です。キリストが与えて下さる謙遜、柔和、寛容、愛にはいのちがあります。ヨハネの福音書3章16節にあるように、クリスチャンには、神様から「永遠のいのち」が与えられています。ですから教会にとって本質的な問題は、信徒の信仰が生きてるかどうかということです。(ローマ人の手紙6章4節)

クリスチャンにとって、隣人との関係において大事なのは、主キリストに、謙遜、柔和、愛からくる忍耐を祈り求めていくことです。教会の中では「平和の絆で結ばれて御霊による一致」を育てていきましょう。主は、祈りに答えてくださいます。


みことば

ピリピ人への手紙2章6〜8節

「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。」

ヨハネの福音書3章16節

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

ローマ人の手紙6章4節

「私たちは、キリストの死に預かるバプテスマによって、キリストと共に葬られたのです。それはちょうどキリストが御父の栄光によって、死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。」


説教者:加藤 正伸 長老



<エペソ人への手紙 4章1〜7節>

1 さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。

2 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、

3 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。

4 からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。

5 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。

6 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。

7 しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。