2025年6月1日
「御霊によって新しく生まれる」(要旨)
新約聖書:マルコの福音書5章25〜34節
1. 三位一体の神様
これまで三位一体の神様について話をしてきました。父なる神様は、この世界と私たちを造られた方、造り主です。子なる神様は私たちを罪から贖われる方、救い主、聖霊なる神様は私たちを聖めてくださる方、聖め主です。
2. ニコデモの訪問
2章には、イエス様が、カナの結婚式で水をぶどう酒に変えると言う奇跡を行われ、過越の祭りの
時にエルサレムで宮清めをされたことが書かれています。多くの人が、イエス様が救い主であることを信じるようになります。その評判はエルサレム中に広がりました。
そのような中、パリサイ人でユダヤ人の指導者ニコデモは、神はこの方と共におられるに違いないと思いました。体面もあったかもしれません。夜、人目につかないようにイエス様に会いに来ます。
ニコデモは、イエス様に自分の感じたことを率直に伝えます。すると驚くような答えが返ってきました。再び生まれなければ神の国を見ることはできないと言われたのです。では一体誰が神の国を見ることができるのだろうか?神の国は、あなたが、律法を守り人々のために長年働いてきたこととは関係ないというのですから。老年になって、多くの人が、本当の幸せはかつて自分が思っていた幸せと違うことに気づくのと、どこか共通するように思います。
5節でイエス様は答えられます。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。」「水と御霊によって生まれる」とは、キリスト教のバプテスマのことです。身体は肉ですから滅びます。しかし霊の命は神様から与えられるものです。8 節に「風は思いのままに吹きます」とあります。風とは御霊様のことです。人が自然の風の動きをコントロールできないように、私たちには御霊様の働きはわかりません。人が新しく生まれるのは神様の行為です。
ニコデモは当時の名だたる教師の 1 人でしたが、このことについて何もわかっていなかったようです。イエス様は彼に、「わたしたちは知ってることを話し、見たことを証ししているのに、あなたはわたしたちの証しを受け入れません。」といいます。私たちと言うのは、旧約聖書の預言者や弟子も含めたご自分たちのことです。
ニコデモは、この世界で、霊的に人が生まれ変わるということを理解できませんでした。そのことを理解するには、聖霊様によってキリストに導かれ、霊的に生まれ変わる必要があるのです。13 節から 15 節に、どうすれば人は霊的に生まれ変わることができるかということが書かれています。
14節は、かつてイスラエルの民が、荒野を旅していた時、指導者モーセに背いて罪を犯し、燃える
蛇に噛まれて苦しんだことを言います。(民数記 21 章4 節から 9 節)この時モーセは、神様の憐れみにより、1 つの青銅の蛇を作り、それをすべての人に見えるように旗竿の上につけました。それを仰ぎ見た人が死なずに生きるためでした。そのように人の子であるイエスも、すべての人に見えるように上げられなければならない、十字架につけられなければならないということです。このことが、人が霊的に生まれ変わるために必要なのです。
私たちはここからクリスチャンがどのような存在なのか知ることができます。ここに「新しく生まれる」「御霊によって生まれた者」「水と御霊によって新しく生まれた者」という言葉が出てきます。そうです。クリスチャンは「新しく生まれた者」なのです。
3. 聖霊様はどのような方なのか?
では聖霊様は、私たちにどのように関わってくださるのでしょうか。聖霊様の働きについて、大きく 3 つ挙げることができます。
第一に、私たちを罪の悔い改めに導き、そして悔い改めた罪人をキリストに導くことです。
聖霊様は律法を通し私たちに罪を示し、私たちに自分の罪を確信させ、罪の告白を促します。そして、その私のすべての罪をイエス様が負ってくださったことを信じるように促すのです。
悔い改めというのは、神様の導きです。ですから「あの人が悔い改めない」と人を責めるのではなく、もしその人が罪を犯しているのなら、神様が悔い改めに導くように祈ることが大切です。
コリント人への手紙 第一 2 章 14 節「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらはその人には愚かなことであり、理解することができないのです。御霊に属することは御霊によって判断するものだからです。」
ヨハネの福音書 15 章 26 節「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち、父から出る真理の御霊が来るとき、その方がわたしについて証ししてくださいます。」
第二に、聖霊は私たちを教会に招きます。教会とは、「信徒の集まりであって、その中で福音が純粋に説教され、聖礼典が福音に従って与えられるところ」(アウクスブルク信仰告白 7条) です。
私たちは、聖霊様が差し出す説教と聖礼典を通して、イエス様の恵みである罪の許しといのちを、信仰と言う空の手で受け取るのです。信仰も神様からの贈り物です。
テモテへの手紙 第一 3章16節「神の家とは、真理の柱と土台である、生ける神の教会のことです。」教会はこの世に命の光を放つためにあります。
コリント人への手紙 第二 5章17節「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
第三に、聖霊は、終わりの日に、私たちに復活の体と永遠の命を与えてくださいます。
ヨハネの福音書 6 章 40 節「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」
4. 信仰の正しい理解
クリスチャンが神様を信じることができるのは聖霊様のお導きです。クリスチャンは、様々な形で罪の意識や悲しみの経験をし、教会に導かれました。
ところで、クリスチャンの私たちが注意しなければならないことがいくつかあるように思います。
その1つは、誰か立派な人の真似をしたり、霊的で活動的な他の教会の真似をしないことです。信仰は神様からの贈り物です。自分で努力して獲得するのではなく、神様からいただくものです。
2つ目は、罪を正しく理解することです。罪かどうかを判断するのは自分ではありません。十戒の規定から外れていることが罪です。私たちはよく、自分の情け無い状態を自分で何とか改善しようともがきます。しかし、大切な事は十字架のもとに行くことです。もちろん洗礼を受けたのだから、罪を犯しても許されるということではありません。
ある牧師先生が、こんなに罪深い私だからこそ洗礼が必要だった、とお話してくださいました。そして、神様は、十字架で私たちの悪いものを受け取って、神様の良いものを私たちに与えてくださるお方である、こうして私たちを神様の形に作り変えてくださると話してくださいました。これが聖化です。
ニコデモをイエス様のもとに導いたのは、聖霊様です。その聖霊様があなたを教会に招いておられます。神様は、キリストのもとに来るあなたを大喜びされるお方です。
5. 主を信頼する
今、あなたは何か問題を抱えていらっしゃるでしょうか?お金のことでしょうか?人間関係でしょうか?家族関係でしょうか、それとも病気でしょうか? 自分の力で自分を助けようともがいていないでしょうか?悔い改めようと頑張ってこなかったでしょうか?イエス様は、そのあなたを助けてくれるお方です。聖霊様は今日もあなたをイエス様に導いてくださいます。
今日の箇所の結論は 3 章 16 節です。「神は、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」
説教者:加藤 正伸 長老
<ヨハネの福音書3章1〜16節>
1 さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。
2 この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」
3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
4 ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」
5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。
6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」
9 ニコデモは答えて言った。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」
10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。
11 まことに、まことに、あなたに告げます。わたしたちは、知っていることを話し、見たことをあかししているのに、あなたがたは、わたしたちのあかしを受け入れません。
12 あなたがたは、わたしが地上のことを話したとき、信じないくらいなら、天上のことを話したとて、どうして信じるでしょう。
13 だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。
14 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。
15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。