2025年3月30日
「神の御心に沿った悲しみ」(要約)
新約聖書:マタイの福音書6章1節〜6節、16節〜21節
イエス様のお話しは、道徳としてではなく、自分で頑張って良い人になるために聞くのではなく、まことの神を信じる信仰で聞かなければなりません。まことの神とは三位一体の神様のことです。
今日の箇所は、イエス様が弟子たち「天の父の子ども」たちに、「天の父の子ども」としてふさわしいあり方を話された箇所です。イエス様は、この6章で、繰り返し弟子たちに、あなたがたは「天の父の子」と語っています。6章だけで11回あります。そしてこれを読んでいるあなたにも、神様は、あなたは天の父の子ですよ、と語っておられます。ガラテヤ人への手紙には「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。」(3章26節)とあります。しかしキリストを離れては「天の父の子」ではありません。
先ずどんなことがふさわしくないかというと、第一に、人に見せるために、人から褒められることを期待して人前で善行をすることです。第二に、人々に気に入られたいと思って、人前で祈ること。第三に、断食をするとき、わざとやつれた顔つきをすること(断食とは、宗教上の理由で自分に厳しい勤めを課すということ。1世紀のエルサレムでは、霊的訓練や祈りのためによく行われていました。)第四に、自分のために地上に宝を蓄えることだと言われました。
ではイエス様はどんなことを求めておられるのでしょう。第一に、良いことをする時は、「右の手のしていることを左の手に知られないように」すること。第二に、祈るときは、「家の奥の自分の部屋に入り、戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈」ること。第三に、断食するときは自分の頭に油を塗り顔を洗うこと」、つまり自分が頑張っていることを人に知られないようにしなさいと言われました。どれも私たちには難しいことのように思えます。
ここでイエス様が最も伝えようとしておられるのは、「隠れたところで見ておられるあなたの父があなたに報いてくださる。」(4節、6節、18節)ということばです。何をするにしても人にではなく、真の神、天の父に対して行うようしなさいということです。
しかし、世間はこれと反対です。人によく見られるため、褒めてもらうために何かをするのが普通で一般的のように思います。子供の時は、ただただ走るのが楽しかったのですが、学校に上がると、いつも人を意識して競争させられ、評価されるという経験を誰もが持っていると思います。しかしイエス様は、人にではなく、真の神、天の父を常に意識するように私たちに求めておられるのです。
4番目の「宝」について。私たちは、この地上に何か頼れるもの、慰めを与えてくれるものを求めます。安心だし、心も豊かになるように感じます。しかしイエス様は、宝を地上に蓄えるのはやめ、天に蓄えなさいと言われました。私にはいつもやりたいことがたくさんあります。しかしそのために、神の御心よりも自分の思いを優先させてしまうのが多いのです。
詩人の八木重吉に「心よ」という詩があります。「こころよ では いっておいで しかし また 戻っておいでね やっぱり ここが いいのだに こころよ では 行っておいで」
八木重吉も同じだったんだと思うと、少しほっとします。しかしそのような私たちでも、みことばに感動するときやキリストの愛を感じるとき、心は、やはりここが一番良いと思うのです。天に宝を蓄えるとは、物にではなく神様に頼る、神の御心を優先させるということです。
4、悔い改め
イエス様のみことばが私たちの心に届くとき、私たちは自分に罪があることが分かり、悲しみます。これが「神の御心に添った悲しみ」です。この悲しみは私たちを悔い改めに導きます。悔い改めは、ギリシャ語でメタノエインと言います。心を変える、向きを変えると言うことです。私たちが自分の罪を認めて悲しみ、キリストに救いを求めるとき、聖霊は私たちを救いに導いて下さいます。悔い改めは洗礼を受けたときだけのものではありません。私たちの全生涯を通して必要です。私たちは努力して自分の行いを変えることはできません。救いは全く神のわざであって、それに人が信頼するのです。
5、まとめと勧め
イエス様は天の神様に「アバ、父よ」と呼びかけられました。私たちもイエス様を信じる信仰により天の父の子どもです。神様に「アバ、父」と呼びかけましょう。また、みことばを通して聖霊によって罪を示された時は、その罪を悲しみ、キリストの救いを信じ、その罪を聖めて頂きましょう。主はそのあなたの罪を赦し、あなたを豊かに祝福し、喜びと平安で満たしてくださいます。
説教者:加藤 正伸 長老
<マタイの福音書 6章1〜6節、16〜21節>
1 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。
2 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
4 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
5 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
16 断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。彼らは、断食していることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
17 しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。
18 それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。
19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。