2025年3月2日
「パリサイ人のパン種に気をつけなさい」(要約)
新約聖書:ルカの福音書18章9〜14節
イエス様の譬え話は、実は弟子たちや民衆に語られたものではなく、ご自分に敵対するパリサイ人や律法学者に向けて語られたものです。イエス様は譬えを、福音の正しさを立証するために用いられました。今日はこの箇所から、情報が氾濫するこの時代に、この世の教えを退け、みことばにしっかりとどまることの大切さを学びたいと思います。
パリサイ人と取税人の二人が神殿で祈りました。パリサイ人は、心の中でこのように祈りました。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』
パリサイ人の祈りは、一見立派な祈りのように見えます。これに比べ取税人の祈りは、ただ一言「神様、罪人の私を憐れんでください。」です。しかし、神様はパリサイ人の祈りを退け、取税人の祈りを喜ばれました。そして彼を義、つまり罪を赦しました。なぜでしょう。
第一にパリサイ人の祈りは自己中心の祈りだからです。神ではなく自分に祈ったのです。
第二に彼は、社会的には律法を守り、罪は犯さなかったかもしれませんが、十戒が求めている隣人愛はなおざりにしていました。隣人の持ち物を守り助けることや(第七戒)、隣人の悪口や噂話をせず、隣人をかばい、善意で受け止めているように思えません。(第八戒)また第六戒は、単に姦淫にとどまらず、伴侶を大切にし助け励ますことを求めています。
第三に彼は、神様の愛の心を理解せず、他の人や取税人を見下げています。
第四に彼は、神様の憐れみや助けを求めません。自分の努力で神に喜ばれる聖い生活をしようと努力をしています。
では、なぜ神様は取税人の祈りを喜ばれたのでしょう。それは彼が心から神様を信頼して、絶望している心のままで祈ったからです。ダビデは詩篇51篇1節で「神よ。私を憐れんでください。」と祈りました。17節には「神へのいけにえは砕かれた魂。砕かれた悔いた心。神よ、あなたはそれを蔑まれません。」と書かれています。神様は、神様に信頼し助けを求める人の声を聞いてくださるのです。
取税人はその罪を神に赦され、みことばの確信を与えられました。きっとそれまでの罪深い生活を改め、不正に得たお金を返済することにしたことでしょう。
実は私たちにもパリサイ人的なところがあります。
人と比べていないでしょうか。また、クリスチャンらしくしようと、外見的な行為にだけ励むことはないでしょうか。私たちを聖めて御霊の実を結ばせてくださるのは聖霊様です。奉仕についてルターは「彼のわざ(奉仕)は、ただ神を喜ばせると言う目的だけのために、自由になされるべきである。」と述べています。
また、教会は浮浪者や礼儀知らずや非常識な人を過度に嫌ってないでしょうか。イエス様の周りには、いつも取税人や罪人たちが集まっていた、と書いてあります。イエス様は、罪人に赦しを与え、食事に招き、自分についてくるように呼びかけ、福音を伝えました。もし教会に浮浪者のような方や非常識な方が来られたとしても、イエス様がおられるので大丈夫です。福音を伝えましょう。
私たちは、神様に喜ばれる生き方をしたいと願っています。けれども、いつの間にか信仰生活に喜びがなくなり、何のために奉仕しているのか、わからなくなることがあります。辛いことが続き、神様から見捨てられたように思うこともあります。そのような時こそ、この取税人の祈りを思い出しましょう。神様は決してあなたを見捨てません。
信仰とは、神様が、説教と聖礼典を通して差し出してくださっている罪の赦しといのちを、私たちが2本の空の手で受け取ることです。この取税人のように神様を信頼し、神様から救いをいただきましょう。
私たちは、この世から救われました。しかし、知らないうちにこの世の考えが教会の中に入り込み、パリサイ人的な考え方に引きずられることがあります。充分注意して、パリサイ人的な考えや教えを退け、福音に留まりましょう。
説教者:加藤 正伸 長老
<ルカの福音書 18章9〜14節>
9 自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。
10 「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。
11 パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。
12 私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』
13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
14 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」