2024年11月17日
「満ち足りる心はどうしたら得られるのか」(要約)
新約聖書:マルコの福音書6章14〜29節
1、第十戒について
私たちは十戒を通して自分の罪に気づき、イエス様に救いを求め、イエス様から救いを頂きます。
第九戒と第十戒は、双子の戒めと言われ、盗みという行為ではなく、人のものが欲しくなり自分のものにしたいと思う心を問題にしています。そして第十戒は、隣人の大切な人や隣人の能力を自分のものにしたいという思いが対象です。
2、ヘロデの罪と罪の恐ろしさ
今日の聖書箇所、マルコの福音書6章に出てくるヘロデ・アンティパスは、律法に背いて、自分の弟の妻を自分のものとしました。バプテスマのヨハネがそれを指摘しますが、そのヨハネを自分の軽率な言葉とヘロディアの悪巧みによって殺してしまいます。しばらくしてイエス様の噂を聞いたヘロデは、そのヨハネが生き返ったのだと思い、自分の罪の結果に怯えるのです。
私たちも、友人の人間関係をねたんで悪い噂を流す人のことを耳にしたり、自分が同じグループの人に嫌われて根拠のない噂話を流されるということを経験します。これも隣人の大切な人間関係を壊すことであり、神様に対する罪です。
また私たちは、他の人の能力や持ち物を欲しがり、自分の能力の範囲を超えて頑張ってしまうことがあります。これも他の人のものを欲しがる欲望から来ています。友人が評価されたとき一緒に喜べずにねたんてしまうのもそうです。こうして私たちは自分の欲望から自由になれないだけでなく、振り回されてしまうのです。
3、イエス・キリストの救い
しかし、この欲望の奴隷状態から、私たちを救ってくださる方がおられます。それがイエス・キリストです。イエス様は、貧しく生まれ、ご自分から十字架にかけられ、御血を流して死に、私たちの身代わりになってくださいました。私たちが自分の罪を悔い改め、このイエス様を信じる時、私たちは罪の赦しを頂き、神の前に義とされるのです。
さらに、イエス様が送ってくださった聖霊は、私たちを日々の悔い改めと聖化へと導き、神様のみ旨を行うことができるようにしてくださいます。なんと素晴らしいことでしょう。
しかしここで、私たちが忘れてはいけないことがあります。それは、私たちは聖霊によって新しい心を与えられていますが、まだ私たちのうちに古い心が残っているということです。原罪を持って生まれてきた私たちの曇った知性や、節度の無い感情と情緒、自己中心性はすぐになくならないのです。私たちは地上の生涯が終わる時まで、新しい心と古い心の間の戦いを経験しなければなりません。
ですから私たちは、絶えず神様に祈り、肉の心に支配されないように努めなければなりません。他の人のものが欲しくなった時は、自分の持っているものに満足できるように神に祈るのです。神様は私たちを満ち足りるようにしてくださいます。神様はそのことを約束してくださっています。
「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることのできる方です。」(コリント人への手紙第二9章8節)
4、靴屋のマルチンと隣人愛
神様に罪赦されるとき、私たちは隣人を愛するようになります。靴屋のマルチンという童話をご存知でしょうか?マルチンのように真実に人を愛するときには、自分のことを忘れてしまうのです。
人への妬みや自分の欲に苦しみイエス様に助けを求めるとき、イエス様は必ず救ってくださいます。そうです。救いの解決は自分の努力にあるのではなく、イエス・キリストにあるのです。
イエス様は私たちの弱さに同情できない方ではありません。私たちにいつも助けの手を述べてくださいます。大丈夫、イエス様が助けてくださいます。今週も十字架を見上げて歩んでいきましょう。
説教者:加藤 正伸 長老
<マルコの福音書 6章14〜29節>
14 イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は、「バプテスマのヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が、彼のうちに働いているのだ」と言っていた。
15 別の人々は、「彼はエリヤだ」と言い、さらに別の人々は、「昔の預言者の中のひとりのような預言者だ」と言っていた。
16 しかし、ヘロデはうわさを聞いて、「私が首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ」と言っていた。
17 実は、このヘロデが、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、−−ヘロデはこの女を妻としていた−−人をやってヨハネを捕らえ、牢につないだのであった。
18 これは、ヨハネがヘロデに、「あなたが兄弟の妻を自分のものとしていることは不法です」と言い張ったからである。
19 ところが、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながら、果たせないでいた。
20 それはヘロデが、ヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていたからである。また、ヘロデはヨハネの教えを聞くとき、非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた。
21 ところが、良い機会が訪れた。ヘロデがその誕生日に、重臣や、千人隊長や、ガリラヤのおもだった人などを招いて、祝宴を設けたとき、
22 ヘロデヤの娘が入って来て、踊りを踊ったので、ヘロデも列席の人々も喜んだ。そこで王は、この少女に、「何でもほしい物を言いなさい。与えよう」と言った。
23 また、「おまえの望む物なら、私の国の半分でも、与えよう」と言って、誓った。
24 そこで少女は出て行って、「何を願いましょうか」とその母親に言った。すると母親は、「バプテスマのヨハネの首」と言った。
25 そこで少女はすぐに、大急ぎで王の前に行き、こう言って頼んだ。「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せていただきとうございます。」
26 王は非常に心を痛めたが、自分の誓いもあり、列席の人々の手前もあって、少女の願いを退けることを好まなかった。
27 そこで王は、すぐに護衛兵をやって、ヨハネの首を持って来るように命令した。護衛兵は行って、牢の中でヨハネの首をはね、
28 その首を盆に載せて持って来て、少女に渡した。少女は、それを母親に渡した。
29 ヨハネの弟子たちは、このことを聞いたので、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めたのであった。