2024年11月3日



「神はわれらの避け所」(要約)

旧約聖書:詩篇46篇



1、ルターの戦い

宗教改革の発端と言われる贖宥状は、罪の許しの問題です。ローマカトリック教会は、地上の罪を償いきれずに死んだ人の場合、その罪は、贖宥状を買えば赦してもらえると言いました。しかしルターは、罪の赦しは十字架のキリストの犠牲によってのみ与えられるのであり、人は信仰によってそれを受け取る以外何もできないと主張します。そしてそれを「95箇条の提題」で公に指摘したのです。

ルターは、ローマカトリックの「教会」の考え方も批判しました。カトリック教会は、教皇を頂点とするヒエラルキーの組織で、司祭や修道士などの聖なる身分と俗なる身分に分かれます。しかしルターは、教会とは、聖なる信徒の集まりであり、その中で福音が純粋に説教され、聖礼典が福音に従って執行されるところであり、組織や制度ではないと主張しました。(アウグスブルク信仰告白第七条)

ローマカトリック教会は、力ずくでルターを黙らせようとしますが、ルターはくじけませんでした。短期間に数多くの著作を発表して自分の考えを多くの人たちに伝えました。当時活版印刷が発明されたこともあって、彼の書物はあっという間にヨーロッパ中に広まりました。このルターの考えがドイツ各地の諸侯や北欧諸国で支持され、それらの国々はローマカトリック教会の束縛から離脱します。これが宗教改革です。

このほかにもルターは、聖書の理解をめぐって、熱狂主義者と言われる急進的な改革運動の人たちや、律法不要論者(「もう救われたんだから律法はいらない」と言う人たち)とも戦いました。

今日もサタンは、私たちクリスチャンから信仰を奪おうと企み、活動しています。それだけに私たちは、信仰義認の教えや教会、聖餐などについてのみことばの教えを固く保つ必要があります。


2、「神はわがやぐら」と詩篇46篇

ルターは礼拝改革を進める中で、自分でも会衆が歌うための讃美歌を作曲し、礼拝に用いました。その中で最も有名な讃美歌が「神はわがやぐら」です。この讃美歌のタイトルは、詩篇46篇からとられています。

詩篇46篇の作者は、1節で、神は私たちの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助けだと言います。2節と3節で、地震や津波、洪水が押し寄せても、私たちは恐れない。なぜならば、4節にあるように「神の都」は揺るぐことが無いからです。「神の都」とはまことの教会のことです。そして7節と11節にあるように、万軍の主が私たちとともに一緒に戦ってくださるのです。


3、主は私たちとともにおられる

なぜ、万物の創造主が、この罪深い私やあなたの避け所、砦となって下さるのでしょうか?苦しむ時助けてくださるのでしょうか?

それは、イエス様がいてくださるからです。イエス・キリストの聖い御血によって私たちの罪が贖われているからです。だから私たちがこの神に信頼する時、神様は私たちを守り助けてくださるのです。

ルターは、個人的に福音のことばと出会った後、悪魔とこの世の攻撃を受け、様々な恐れや苦難を経験しました。しかし彼は神様を信頼し、神様に守られて、様々な改革を成し遂げました。私たちも同じです。神様に遣わされたところで、病気や仕事、隣人関係、家族関係など様々な苦しみを経験します。けれども、神様は私たちを守ってくださいます。そして今日も神様は私たちと共にいて下さいます。


説教者:加藤 正伸 長老



<詩篇 46篇>

1 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。

2 それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。

3 たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。?セラ?

4 川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。

5 神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる。

6 国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ。神が御声を発せられると、地は溶けた。

7 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。?セラ?

8 来て、主のみわざを見よ。主は地に荒廃をもたらされた。

9 主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。

10 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」

11 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。?セラ?