2024年9月15日



「神の国と神の義を求めなさい」(要約)

新約聖書:ルカの福音書 12章13節〜21



ある時、群衆の中の1人がイエス様のところに来て、遺産を自分と分けるように兄弟に言って欲しいと頼みました。イエス様は彼に、「わたしはあなたがたの裁判官や調停者ではない。」と言われます。そして「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。」と言われ、豊作を喜んだ金持ちのたとえを話されました。

ある金持ちの畑が豊作だった。彼は、よく考え、新しく倉を建てて収穫した穀物や財産をしまっておくことにした。そして彼は自分のたましいにこう言った。「安心して食べて飲んで楽しめ」。しかし神様は彼にこう言われた。「愚か者。お前のたましいは、今夜お前から取り去られる。そうしたら、お前が用意したものは、いったい誰のものになるのか。」私たちにたましいを与えてくださった方は神様です。私たちは自分で自分の命を作れません。この金持ちは、自分にたましいを与えてくださった方のことを無視していたのです。

十戒の第九戒は、人の心の思いに向けられています。「貪欲」という思いです。貪欲の罪は、私たちにとり決して他人事ではありません。幼い子が、他の子の持っているおもちゃが欲しくなり力ずくで取ろうとすることがあります。子どものとき、友達の持っている漫画やゲームが欲しくなって親を困らせたことは、皆さんにも経験があるのではないでしょうか。

この貪欲に支配されると、人は他人を傷つけ、社会を壊すようになります。例えば、社会には、若者に優しく近づき、親切な言葉をかけ騙して働かせ、給料を払わない人がいます。イエス様はこの貪欲の恐ろしさをご存知でした。

しかしこの貪欲の罪から救い出してくださる方がいます。神様です。父、子、聖霊の三位一体の神様。聖霊は十戒を通して私たちに罪を示し、イエス様の救いに導いてくださいます。私たちがイエス様を信じ、自分の罪を告白して祈るとき、神様は私たちの罪を本当に許してくださいます。ヨハネの福音書 3 章 16 節にはこうあります。「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が 1 人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

このたとえの後で、イエス様は弟子たちにこう話されました。「いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。」(22 節)「しかし、あなたがたの父は、それらがあなたがたに必要であることを知っておられます。何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。」(30、31 節)

イエス様が、このように言われたのは、イエス様を信じた者のうちには、古い人と新しい人がいるからです。(ローマ 6:4、エペソ 4:22〜24、コロサイ 3:9〜10 他)イエス様を信じて洗礼を受けたとき、私たちのうちで古い人が死に、新しい人が甦るということが起きます。新しい人とは、神様の与えてくださるもので満足する自分、また生活する場所のない、困っている隣人を助けたいと思う自分です。古い自分とは、他の人をねたみ、心を物で満たそうとする自分、また他人を犠牲にしてでも自分の欲しい物を手に入れようとする自分です。ここには絶えず戦いがあります。ですから私たちはこの世を去る時まで、神様に信頼し、神の国と神の義を求め続けていくことが必要なのです。

神の国と神の義を求めていきましょう。礼拝に出席してみことばを聞き、聖餐に預かりましょう。神様はあなたを祝福して下さいます。


説教者:加藤 正伸 長老



<ルカの福音書 12章13〜21節>

13 群衆の中のひとりが、「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください」と言った。

14 すると彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。」

15 そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」

16 それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。

17 そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』

18そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。

19 そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』

20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』

21 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」