2024年9月1日



「あなたが赦してくださるゆえに」(要約)

旧約聖書:出エジプト記20章16節



私たちはなぜ十戒を大切にするのでしょう?それは、私たちが神の民だからです。神様は、モーセを通じて十戒をイスラエルの民に与えられましたが、今や私たちもイエス様に救われて神の民となりました。十戒は、私たちに罪を教えるだけでなく、どのように生きたら良いのかを教えてくれます。私たちは、十戒を通して、キリストの救いがかけがえのない宝であることに気づきます。


1、十戒と私たち

第八戒は、法廷で証言をする時、嘘をついてはならないということです。祭司長や律法学者は、イエス様を死刑にするため、イエス様に不利な偽証を得ようとしました。(マタイ26: 59)ステパノも、嘘の証言によって殺されました。(使徒6: 11?13)偽証、偽りは大きな罪です。偽りは悪魔の特徴の1つです。

しかし新約時代の私たちは、第八戒から、人の名誉を守ること、傷つけないことを神様が求めておられるのに気づきます。カテキズムには「私たちは、何よりも神を恐れ、愛するので、隣人について軽率な発言をしたり、裏切ったり、嘘をついたり、中傷したりせず、むしろ隣人をかばい、褒め、また彼らがすることを善意を持って受け止め、話します。」と書かれています。

神の民イスラエルは、周辺諸国の、まことの神を持たない人々の神々に心を奪われ滅びました。その後ローマに支配されて虐げられる神の民イスラエルに来られたのがイエス様です。イエス様は「貧しい人たち」をご自分の国民に招くために来られました。他者に踏みつけられて、貧しくなった人たちです。私たちもその一人です。


2、偽証してはならない

第八戒の「偽りの証言」の一つは「うわさ話し」です。隣人の悪い評判を話題にして、その人の名誉を損なうからです。また人の悪いところを他の人に話して、広めてしまうこともそうです。エペソ人の手紙4章 29節には、人の悪口や陰口のような悪い言葉を一切口から出してはいけない。むしろ必要な時に、人の成長に役立つ言葉を語り、聞く人に恵みを与えるようにしなさい、とあります。

また、人の罪に気づいた時は、他人に話す前に、まず本人に愛の心を持って接し、その人が罪から離れるように助けることです(マタイの福音書18:章15節)。聞いてくれないときには、2、3人で忠告して、そうしても効き目がないときには、公の場所に持ち出す、というのが福音書による秩序です。神様は、人を「神のかたち」として、何ものにも変えがたい尊い存在として造られたので、名誉を損なうような言葉を言ってはいけない、軽々しく人をさばいてはいけないと言われるのです。


3、イエス様の救いと赦し

しかし私たちは、洗礼を受け罪を赦されたけれども、なおも罪を犯してしまいます。そのような私たちは、罪を犯したからもうダメだということなのでしょうか。ここに神様の偉大さがあります。詩篇130篇4節には「しかし、あなたが赦してくださるゆえに、あなたは人に恐れられます。」とあります。

なぜでしょう。それは、神様が愛だからです。イエス様は、私が犯した罪をご自分の上に受け取られました。ご自分の生涯と十字架の死、貧しさと苦しみを通して、神様と和解させてくださいました。(エペソ1: 4、コロサイ1: 22、ガラテヤ3:13)。ルターは、クリスチャンは「罪赦された罪人」と言いました。いちど結婚式を挙げたら、その後も結婚が続くように、私たちが罪を犯しても、神様は変わらず私たちを受け入れて下さるということです。


4、神様を信頼して歩む

ですから神様の前に自分の罪を隠さず告白しましょう。そのとき主は、あなたの重荷を下ろさせて下さいます。罪を犯したとしても、何度罪を犯したとしても、どんな罪を犯したとしても、その罪を素直に認め、イエス様の救いを信じるならば、神様は心の重荷を取り去って下さいます。神様は私たちを決して見捨てられません。私たちを、どこまでも愛して下さる神様、罪を聖めて下さる神様を信じましょう。


説教者:加藤 正信 長老




<聖書箇所>

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

出エジプト記 20章16節