2024年8月18日
「罪の悔い改めがもたらす幸い」(要約)
旧約聖書:詩篇32篇(全)
この詩篇は、悔い改めの詩篇の 1 つと言われるもので、ダビデが自分の罪を深く悲しみ、神様に告白したとき、神様から罪の赦しのおことばが与えられたことを記したものです。
1節と 2節で、咎を赦され罪を覆われた人こそ幸いな人だと、ダビデは言います。キリスト教で言う罪はあくまで神様が基準です。神様に対する罪が、結果として人への悪口、犯罪となって現れるのです。
聖書の罪とは、ヘブル語の「ハタアー」と「アヴォン」と「ペシャア」。ハタアーは普通「罪」と訳され、アヴォンは「咎」、ペシャアは「背き」と訳されます。ハタアーは「的を外れる」、アヴォンは心がひねくれた邪悪な性格のこと、ペシャアは「掟に違反する、反逆する」という意味です。英語では、それぞれ sin, transgression, iniquity と訳されることが多いようです。故鍋谷堯爾先生は、私たちの心という袋の中に罪と咎と背きという 3 つの黒い玉が入っていて、それがくっついたり増えたり、いろいろ悪い活動をするのだと説明しています。
3節 4節で、ダビデは、神に対する罪を自分の中にしまい込んでしまったことを告白します。その彼に神の御手が重くのしかかります。それで彼の「骨は疲れ切り、骨の髄まで乾いて」しまいます。神様との関係が悪くなったからです。これは友達関係に似ています。仲が良かったのに、ある日の出来事で悪くなってしまう。それまでは一緒にいるだけで楽しかったのに、顔を見るのも辛く毎日が苦しくなります。
5節は、この詩篇の中心箇所です。ダビデは、自分の罪の背きを正直に認め、神様に告白しました。すると神様はダビデの罪の咎めを赦してくださったというのです。
6節にある「聖徒」とは、罪を犯さない人のことではありません。罪を赦してくださる神様に信頼し、自分の罪を神様の前に注ぎ出す人のことです。ダビデは、6節、7節で、神様を信頼する人に神様が与えてくださる恵みを挙げます。
1つめは、自分の罪の結果、大水が濁流になってすべてのものを押し流すような苦しい状況になっても、その濁流に飲み込まれ滅びてしまうことは無いということ。2 つ目は神様がその人の隠れ場となって、苦しみから守ってくださるということです。特に自分に対する悪口や攻撃、いじめや中傷から守って下さいます。3 つ目は「救いの歓声で囲んでくださる」。それまであった死の恐怖や苦しみ、恐れではなく、神様の恵みに取り囲まれるのです。
それだけではありません。8 節では神様は、ご自分を信じて悔い改めた人に歩むべき人生の道を教えてくださいます。ですから 9 節で、自分で罪の問題を解決してはならないと諭します。
10 節では、悪しき者は罪悪感や恨みやつらみ、優越感や劣等感に取り囲まれ、不安や心配が耐えないが、神様を信頼する人は、神の恵みが取り囲むのだと言います。そして 11節で、主を信頼する人たち(正しい者たち)に、主を喜び楽しみなさい、喜びの声を上げなさいと呼びかけるのです。罪ゆえに滅びなければならなかった自分を神様が赦してくださったからです。
十字架は、神の義(正しさ)と神の愛を現します。神様は正義の方なので、罪を裁き、悪を見逃しません。すべての罪の根本原因は神様への背きです。自分に「負い目」の一つもない方はいないでしょう。
しかし、そのような私たちのために、罪なき神の御子が死んでくださいました。イエス様は、私たちのすべての罪をご自分の身に負ってくださったのです。これが十字架です。ですから、私たちが神様の前に自分の背きや罪、咎を告白する時、私たちは、キリスト・イエス様の御血が自分のすべての罪を覆い、清めてくださることを知るのです。
イエス・キリストが主であることを信じる者は誰でも、罪を赦していただけます。神様はご自分を信頼する者に、特別に目を留めてくださり祝福してくださいます。私たちが、自分に罪を犯す人を赦すことができるようにしてくださいます。主イエス・キリストを信じましょう。
説教者:加藤 正信 長老
<聖書箇所>
詩篇 32篇1〜11節
1 幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。
2 幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。
3 私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。
4 それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。セラ
5 私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。セラ
6 それゆえ、聖徒は、みな、あなたに祈ります。あなたにお会いできる間に。まことに、大水の濁流も、彼の所に届きません。
7 あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます。セラ
8 わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。
9 あなたがたは、悟りのない馬や騾馬のようであってはならない。それらは、くつわや手綱の馬具で押さえなければ、あなたに近づかない。
10 悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。
11 正しい者たち。主にあって、喜び、楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ。喜びの声をあげよ。