2024年7月28日



「ここに罪の赦しと救いがある」(要約)

旧約聖書:サムエル記第二11章



1、ダビデの罪

ダビデは姦淫の罪を犯しました。姦淫とは、倫理に背いた肉体関係のことです。(聖書辞典には、夫を持つ夫人との密通や結婚前の男女の密通の他、異邦の神々を拝み、聖書の神礼拝にその習慣を取り入れることの二つの意味が書かれています。) ダビデは姦淫の罪を犯し(第六戒)、嘘をつき(第八戒)、隣人の妻を自分のものにし(第十戒)、ウリヤを殺しました(第五戒)。主をさげすみ自分の欲望を遂げたので第一戒も破りました。。

しかし、預言者ナタンに罪を指摘されたダビデは、自分の罪を直ぐに認めて悔い改め、神の救いにすがります。その罪の悔い改めは、率直で真剣で深いものでした。(13節) 詩篇51篇は、その時のダビデの悔い改めを詩にしたものです。

ナタンはダビデに、主がダビデの罪を見過ごしてくださったことを告げます。しかし、生まれる子は必ず死ぬこと、「今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない」ことを告げました。

神様はそのダビデから離れませんでした。そしてダビデと結んだ契約、「あなたの家とあなたの王国とはわたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王国はとこしえまでも堅く立つ」(Uサムエル7: 16)という契約を果たされます。それが約千年後の救い主キリストの誕生です。


2、性的誘惑とクリスチャン

今、世間には卑猥な広告、ドラマ、映像が氾濫しています。つくづく私たちは性的誘惑の多い世の中に生活していることを感じます。このような性的な欲望はどこから来るのか。

マルコの福音書7章22節で、イエス様は、人の心から出てくるものが人を汚す、と言われました。「悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさはみな内側から出てくる」。救われた私たちの心の内にもまだ古い人がいます。 では、私たちが誘惑を避けるにはどうすれば良いのでしょう。

「どうしたら聖い生活ができるか」という問いに、カテキズムは、「この誘惑はとても強いので、私たちはみことばに励まされ、主とともに不純な思いや欲望と戦います。(1) 結婚は私たちを性の誘惑から守ります。(2)誘惑にあったら、速やかにその場を離れます。」と書いています。中でも神様に祈り、助けを求めることは大切です。私たちは、「私たちを試みに合わせないで、悪からお救いください」と主の祈りを祈ります。しかしそれでも罪の前に無力を覚えることがあるかもしれません。


3、大祭司キリスト

ここで私たちは、私たちのうちに素晴らしい宝があることを思い出しましょう。それはいのちの救いです。イエス様が私たちの全ての罪、穢れを贖って下さったことです。それは過去の罪、これから犯すかもしれない罪も含みます。私たちは律法の呪いから完全に解かれていて、二度と呪われることはありません。最後のさばきで責め立てられることは絶対ないのです。

では、私たちが罪を犯したときや罪を犯していることに気がついたときはどうすれば良いのでしょう。「悔い改め」ることです。(Tヨハネ1章9節) 悔い改めるとは心の向きを変えること。古い人から新しい人に、罪からキリストにある神の約束に、心の方向を変えることです。注意したいのは、もう私たちは新しい人として生きていくようになっているので、悔い改めは、本人が気がついたとき、素直にそうなるということです。悔い改めは神に対して行うのであって、人にではありません。また悔い改めは必ずその実を伴います。また恵みの手段として聖餐式があります。


4、第六戒の目的

ところで、なぜ神様はこの第六戒を定めたのでしょう。カテキズムは次のように説明します。「人は、結婚を大切にするものとして造られました。伴侶は最も近い隣人です。それで、伴侶を悲しませたり、傷つけたりせず、むしろ伴侶を助け、励まし、結婚の絆を聖く保つように教えています」

万物の創造者である神は、初めから男と女に人を造られました。結婚を制定されました。結婚生活を大切にすることは、それ自体聖い生活をすることでもあります。また、結婚の相手はその人にとって最も身近な隣人です。こうして私たちは隣人を愛し、聖い生活をしていくのです。

また神様が、第六戒で、姦淫を禁じられているのは、これらが、神が人間に与えた結婚や家庭という秩序を壊すからです。十戒の根底には、神が人間に与えられた創造の秩序を大切にしなさいと言う教えがあります。


5、勧めの言葉

パウロはコリントの人たちに、「自分たちが救われていること」を思い起こさせようと必死になって手紙を書きました。コリント人への手紙第一3章16節「あなた方は神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」

クリスチャンは「神の神殿」です。私たちは古い人に負けて自分のだめさに落ち込むことがあるけれども、あなたのうちには御霊がおられ、新しい人が成長しています。もっともっと成長させていただきましょう。主は必ず私たちの祈りと願いに答えてくださいます。


説教者:加藤 正伸 長老



<サムエル記 第二 11章1〜27節>

1 年が改まり、王たちが出陣するころ、ダビデは、ヨアブと自分の家来たちとイスラエルの全軍とを戦いに出した。彼らはアモン人を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。

2 ある夕暮れ時、ダビデは床から起き上がり、王宮の屋上を歩いていると、ひとりの女が、からだを洗っているのが屋上から見えた。その女は非常に美しかった。

3 ダビデは人をやって、その女について調べたところ、「あれはヘテ人ウリヤの妻で、エリアムの娘バテ・シェバではありませんか」との報告を受けた。

4 ダビデは使いの者をやって、その女を召し入れた。女が彼のところに来たので、彼はその女と寝た。−−その女は月のものの汚れをきよめていた−−それから女は自分の家へ帰った。

5 女はみごもったので、ダビデに人をやって、告げて言った。「私はみごもりました。」

6 ダビデはヨアブのところに人をやって、「ヘテ人ウリヤを私のところに送れ」と言わせた。それでヨアブはウリヤをダビデのところに送った。

7 ウリヤが彼のところに入って来ると、ダビデは、ヨアブは無事でいるか、兵士たちも変わりないか、戦いもうまくいっているか、と尋ねた。

8 それからダビデはウリヤに言った。「家に帰って、あなたの足を洗いなさい。」ウリヤが王宮から出て行くと、王からの贈り物が彼のあとに続いた。

9 しかしウリヤは、王宮の門のあたりで、自分の主君の家来たちみなといっしょに眠り、自分の家には帰らなかった。

10 ダビデは、ウリヤが自分の家には帰らなかった、という知らせを聞いて、ウリヤに言った。「あなたは遠征して来たのではないか。なぜ、自分の家に帰らなかったのか。」

11 ウリヤはダビデに言った。「神の箱も、イスラエルも、ユダも仮庵に住み、私の主人ヨアブも、私の主人の家来たちも戦場で野営しています。それなのに、私だけが家に帰り、飲み食いして、妻と寝ることができましょうか。あなたの前に、あなたのたましいの前に誓います。私は決してそのようなことをいたしません。」

12 ダビデはウリヤに言った。「では、きょうもここにとどまるがよい。あすになったらあなたを送り出そう。」それでウリヤはその日と翌日エルサレムにとどまることになった。

13 ダビデは彼を招いて、自分の前で食べたり飲んだりさせ、彼を酔わせた。夕方、ウリヤは出て行って、自分の主君の家来たちといっしょに自分の寝床で寝た。そして自分の家には行かなかった。

14 朝になって、ダビデはヨアブに手紙を書き、ウリヤに持たせた。

15 その手紙にはこう書かれてあった。「ウリヤを激戦の真っ正面に出し、彼を残してあなたがたは退き、彼が打たれて死ぬようにせよ。」

16 ヨアブは町を見張っていたので、その町の力ある者たちがいると知っていた場所に、ウリヤを配置した。

17 その町の者が出て来てヨアブと戦ったとき、民のうちダビデの家来たちが倒れ、ヘテ人ウリヤも戦死した。

18 そこでヨアブは、使いを送って戦いの一部始終をダビデに報告するとき、

19 使者に命じて言った。「戦いの一部始終を王に報告し終わったとき、

20 もし王が怒りを発して、おまえに『なぜ、あなたがたはそんなに町に近づいて戦ったのか。城壁の上から彼らが射かけてくるのを知らなかったのか。

21 エルベシェテの子アビメレクを打ち殺したのはだれであったか。ひとりの女が城壁の上からひき臼の上石を投げつけて、テベツで彼を殺したのではなかったか。なぜ、そんなに城壁に近づいたのか』と言われたら、『あなたの家来、ヘテ人ウリヤも死にました』と言いなさい。」

22 こうして使者は出かけ、ダビデのところに来て、ヨアブの伝言をすべて伝えた。

23 使者はダビデに言った。「敵は私たちより優勢で、私たちに向かって野に出て来ましたが、私たちは門の入口まで彼らを攻めて行きました。

24 すると城壁の上から射手たちが、あなたの家来たちに矢を射かけ、王の家来たちが死に、あなたの家来、ヘテ人ウリヤも死にました。」

25 ダビデは使者に言った。「あなたはヨアブにこう言わなければならない。『このことで心配するな。剣はこちらの者も、あちらの者も滅ぼすものだ。あなたは町をいっそう激しく攻撃して、それを全滅せよ。』あなたは、彼を力づけなさい。」

26 ウリヤの妻は、夫ウリヤが死んだことを聞いて、夫のためにいたみ悲しんだ。

27 喪が明けると、ダビデは人をやり、彼女を自分の家に迎え入れた。彼女は彼の妻となり、男の子を産んだ。しかし、ダビデの行ったことは主のみこころをそこなった。