2024年6月23日
「古い人を脱ぎ捨て新しい人を着る」(要約)
新約聖書:エペソ人への手紙4章22節から24節
1、振り返り
これまで、第一戒から第三戒を説教で取り上げてきました。
第一戒「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない」は、心から神様を畏れ、愛し、信頼しなさいという教えです。南王国ユダのヒゼキヤ王の祈り(U列王記19章)から、私たちが神様に心から信頼するとき、神様は私たちの祈りに応えてくださる方であることを学びました。
第二戒「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。」は、私たちの口と舌は、神様を呼び求め、祈り、賛美するために用いなさいと言う教えです。イエス様が十人のツァラアトの人を癒やされたとき、イエス様に感謝するため戻ってきたのはサマリヤ人1人だけでしたが、彼は大声で神を褒め讃えながら引き返してきて、イエス様の足元にひれ伏して感謝しました。 (ルカの福音書17章)
第三戒「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ」は、安息日には、神様の御言葉やその説教を軽んじることをせず、喜んでそれを聞き学びなさいと言う教えです。
イエス様は、安息日に、ベテスダの池にいた病人にご自分から近づいていかれ、病気を癒し、罪を赦しました。(ヨハネの福音書5章)安息日は、神様が私たちに、魂と体を休めるため与えて下さった日です。
2、十戒の3つの役割
十戒はなぜ必要なのでしょう。カテキズムには十戒に3つの役割があることが書かれています。第一は、神が創造されたこの世界の秩序(創造の秩序)を教えること。すべての人が守るべき人としての決まりです。第二に、この決まりを外れることが罪であり、私たちに自分が罪人だということに気づかせ、キリストのもとに行くように促すことです。第三に、私たちクリスチャンに生きる道を教えることです。
十戒と福音の関係を、神学校の銭谷幸器先生は、病気になったとき病院に行くように言われ、病院で医者に治してもらうようなものと喩えています。病院に行きなさいというのが十戒、治してくれるのが福音ということです。
3、古い人と新しい人
パウロは手紙の中で、私たちのうちには「古い人」と「新しい人」がいると言います。言い換えると、肉に従って生きる人と霊に従って生きる人。神様抜きで、この世の生活のことばかりを追い求める自分と、キリストを信じ聖霊によって導かれて生きる自分です。
イエス様を信じて洗礼を受けたとき、2つのことが私たちのうちに起こります。一つは、自分の中にある肉が十字架につけられ、イエス様と一緒に死ぬこと。もう一つは、神様から聖霊が与えられ、聖霊が私たちのうちに新しい霊的なものを造ることで、これが「新しい人」です。罪から解放されて新しいいのちに歩む人です。私たちの心は神の子としていただいた感謝と喜びで溢れます。
ローマ人への手紙6章4節。「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。」
4、古い人を脱ぎ捨て新しい人を着る
しかし、これは、私たちのうちの古い人が全部取り除かれた、無くなってしまったことを意味しているのではありません。肉は私たちが生きている限り無くなりません。ローマ人への手紙8章にあるように、この私たちの肉なるものが、私たちを苦しめます。ここに十戒の必要な理由があります。十戒は、私たちに罪を示しキリストのもとに行くように促します。十戒の第二の働きです。
十戒の第三の働きは、私たちの中の新しい人に生きる道を教えることです。新しい人は、自由な気持ちから隣人の益となることを行い、神様に喜ばれたいと思うようになります。その新しい人に、どうすれば良いのか教えるのです。このようにして、日々私たちのうちの古い人は死に、新しい人は聖霊に導かれて成長します。
ルター派では、クリスチャンは救われ、聖められているのだから罪を犯さない、とは考えません。日々古い人が死に、新しい人が成長するのがクリスチャンであると教えます。
5、洗礼の恵みに生きる
私たちの出発点は洗礼です。私たちはこの恵みの手段である洗礼を受けて救われました。この洗礼の恵みに立ち帰り、古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着るのです。
また教会は罪の赦しの宣言をするところです。神様から赦しをいただけるところです。赦しは説教と聖礼典で与えられます。もし皆さんの中に罪の負い目に苦しんでいる方がおられたら、神様がその負い目から解放してくださるように、ご一緒にお祈り致します。
説教者:加藤 正伸 長老
<エペソ人への手紙 4章22〜24節>
22 その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、
23 またあなたがたが心の霊において新しくされ、
24 真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。