2024年4月28日
「御国を目指して」(要約)
新約聖書:ヘブル人への手紙11章13〜16節
1、召天者記念礼拝とは
召天者記念礼拝とは、先に召された信仰の先輩たちの足跡を偲びつつ、今地上にいる私たちが、御国を目指して歩む恵みを感謝し、またやがては私たちもその神の国の交わりに加えて頂ける望みを新たにするときです。
2、召された方々の足跡
召天された兄弟姉妹は、この地上の生涯を救い主イエス様と共に歩んでこられました。お一人お一人の名前を思い出す時、その方の笑顔と優しさ、楽しい思い出がよみがえります。しかし私たちは、召された方々の人生が決して楽しいことばかりではなかったことも知っています。亡くなる前に、病気や障害、認知症を経験された方もおられました。しかしそれらの方々も、試練をとおして主の前に謙遜にされ、イエス・キリストによる救いの確信をしっかり握り天国に凱旋していかれました。これらの方々のことを思う時、私たちは、イエス・キリストを信じる信仰の素晴らしさを感じます。ではなぜこの信仰が素晴らしいのでしょうか。
3、なぜキリストを信じる信仰が素晴らしいのか。
@ここに本当の救いがある
病気の辛さがその人しかわからないように、その人の罪の苦しみはその人しかわかりません。しかし、神の言葉である聖書には、信じるならどんな人でも罪から救われると書いてあります。(ヨハネの福音書3章16節)クリスチャンとは、本当の救いに預かった人のこと。洗礼を受け、罪赦されて新しいいのちに生きる人のこと。神様との新しい関係に生きる人のことです。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。」(コリント人への手紙第二5章17節) 先に天に召された兄弟姉妹は、イエス様を信じ、新しいいのちの道を歩み、天国に行かれました。
Aここに人生の本当の目的がある
人は何を目的に生きているのでしょう。偉くなること、お金持ちになること、有名になること、楽しむことでしょうか。しかしそれは本当の目標なのでしょうか。
どんな人でも最後は死を迎えます。その直前多くの人が不安や恐れを抱きます。行き先がわからないからです。聖書には次のようなことばがあります。「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。」(ヘブル人の手紙9章27節)
イエス様は私たちに、人生の本当の目的を与えてくださいました。「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自分に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」(ピリピ人への手紙3章20・21節)
私たちクリスチャンは、「御国を来らせ給え」と祈ります。天の御国はキリストの支配するところです。この神様の支配がすべての人に及びますように、キリストの支配が広がるように、人々が神の愛に生かされるように祈り、主が遣わされた所で自分の役割を果たします。これこそイエス様が私たちに与えてくださった人生の目的です。先に天に召された兄弟姉妹は、家庭において、職場において、教会において、御国を目指して歩まれました。
Bここに本当の慰めがある
NHK首都圏ナビで、「望まぬ孤独」という特集が放送されました。さまざまな理由で孤独を感じる人が増えているという内容でした。家族や友人、SNSでのつながりはあるけれど、誰にも打ち明けられない悩みを抱え、孤独を感じていると言うのです。
聖書には、誰よりもあなたの親しい友となってくださる方のことが書かれています。イエス・キリストです。新聖歌209番「慈しみ深き」の歌詞の中に、「友なるイエスは」という言葉があります。これはイエス様ご自身が、信じる者たちの本当の友になって下さるということです。(ヨハネの福音書15章 3節)
主イエス様は、私たちの祈りを聞いてくださる方です。聖書に「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。」(詩篇50篇15節)というみことばがあります。天に召された兄弟姉妹は本当の慰めを知っていました。苦しい時にはイエス様に祈り、慰めてもらいながら歩んだのです。
Cここに本当の居場所がある
居場所のない若者たちのことが話題になります。何かの理由で、学校や家で、職場で居場所がないと感じている子供や大人がたくさんいます。しかしイエス様は、天にあなたの居場所を与えてくださる方です。「わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたもおらせるためです。」(ヨハネの福音書14章 3節)
地上の教会も、会員が「ここが私の居場所だよ」と言えるような教会であるといいと思います。
教会はイエス様から招かれた方が来るところです。身分や服装、年齢、知識、経験は一切関係ありません。
4、勧め
人生は旅に喩えられます。聖書には、はっきり人生は旅であると書いてあります。「私は地では旅人です」(詩篇119篇19節)「地上では旅人であり、寄留者です」(ヘブル人への手紙11章13節)
この旅は、どこに行くのかわからない旅ではありません。元の場所に戻ってくる旅でもありません。イエス様と生きた交わりを持ちながらの旅です。本当の救いをいただき、慰められ、本当の目的を持って、天国をめざす旅です。旅が終わる時、私たちは主イエス様にお会いし、先に天に召されたなつかしい兄弟姉妹とお会いします。その日まで、神の国を目指してイエス様とともに歩んでいきましょう。
説教者:加藤 正伸 長老
<ヘブル人への手紙 11章13〜16節>
13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。
14 彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。
15 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。
16 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。