2024年3月17日



「イエスはご自分で十字架を負って」(要約)


新約聖書:ヨハネの福音書19章17節〜37節




1、イエス様の十字架と預言の成就ということ


イエス様はご自分で十字架を負ってゴルゴダまで歩いて行かれます。イエス様はそこで、他の2人の罪人と一緒に、罪人として十字架に付けられました。イエス様の十字架の上には、「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」と書かれた罪状書きが掲げられました。これはヘブル語、ラテン語、ギリシャ語で書かれていたので、エルサレムの人だけでなく、当時のローマ帝国が支配する全地域にも伝わりました。

ユダヤ人たちはピラトに、罪状書きには「ユダヤ人の王」ではなく、「彼はユダヤ人の王と自称した」と書いて欲しいと頼みますが、ピラトはこれを拒否します。イエス様は「ユダヤ人の王」として生まれ、「ユダヤ人の王」として死なれたのでした。ただしイエス様の国はこの世のものではありません。(ヨハネ18:36)

ローマの兵士たちは、イエス様から上着と下着を取り上げて裸にし、イエス様の両手と両足を十字架に釘付けしました。イエス様は罵りや嘲りの声を浴びながら、他の犯罪人2人と一緒に十字架につけられたのでした。兵士たち4人は、その後でイエス様から取り上げた上着と下着を分けます。上着は4等分にし、下着は誰のものになるかくじ引きしました。

28節で、イエス様は「わたしは渇く」と言われます。それを聞いた兵士たちは、そばに置いてあった酸いたぶどう酒を海面に含ませ、ヒソプの枝につけてイエス様の口元に差し出しました。イエス様はそれを受けられて「完了した」と言われ、死を迎えました。

さて、この19章には、このイエス様の死が旧約聖書の預言の成就であることが繰り返し書かれてます。預言とは、聖霊の導きを受けて神の意思や救いに関する神様のご計画を人々に伝えることです。犯罪人と一緒に死なれたこと(イザヤ書53章12節)、兵士たちがイエス様の上着と下着を4人で分けたこと(詩篇22篇18節)、イエス様が「わたしは渇く」と言い、兵士たちが「酸いぶどう酒」を飲ませたこと(詩篇69篇21節)、イエス様が処刑された後、二人の罪人は、そのすねを折られたのですがイエス様のすねは折られなかったこと(詩篇34篇20節)、兵士の1人がイエス様の脇腹を槍で突きさしたこと(ゼカリヤ書12章10節)が挙げられています。旧約聖書のこれらの預言はキリストにおいて実現したのです。



2十字架の意味


イエス様の苦しみは現実のものです。民衆の蔑みと辱めの中で、両手と両足に釘を打たれ、血を流し、肉を裂き、激しい苦痛に耐えながら死なれました。しかしイエス様にとって最も苦しかったことは、神様から見捨てられたということでした。(マタイ27:46) それが、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と言う叫びです。イエス様はすべての人の罪を背負っておられたからです。

しかし、このことを通して、イエス様の救いのみわざは完了します。ヨハネの福音書10章の「良い牧者の譬え」は、イエス様が自ら私たちのためにご自分の命を捨ててくださったことを表しています。「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。」(10:11)

イエス様は、私たちを罪から救うため、私たちに赦しを与えるためにこの世に来られたのです。自ら十字架を負い、血を流し、肉を裂き、激しい苦痛に耐えながら死んで下さいました。その十字架は、他でもない、私たち一人ひとりの、あなたや私の十字架です。ですから主はあなたに、「友よ、あなたの罪は赦されている」と宣言して下さるのです。



3 キリストの花嫁


イエス様は、まさに息を引き取ろうとするとき、母マリアに「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」と言われ、その弟子に「そこに、あなたの母がいます。」と言われました。聖書には、「その時から、この弟子がマリアを自分のところに引き取った」と書いてあります。

ここに数人の女性の名前がありますが、他の福音書にも多くの女性の名前が記されています。イエス様を信じる人たちの群れがあったということが分かります。イエス様は、母マリアを信徒の群れの一人として愛する弟子に委ねました。

聖霊降臨ののち教会が誕生し、イエス様を信じる人たちの群れは教会となります。教会はイエス様の花嫁です。教会はイエス様と一つです。(エペソ書:31・32) 教会の本来の姿はイエス様に数えられ、覚えられている者たちの集まりです。イエス様に目を留め、見つめる人たちの集まりです。(15:9)正しい人、賢い人、強い人のためにあるわけではありません。また賛美する人、祈る人、奉仕する人のためにあるわけでもありません。

イエス様は、弟子たちに、互いに愛し合うように命じられました。「もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、(互いに愛し合うなら)あなたがたはわたしの愛にとどまるのです」。(ヨハネ15: 10)最後の晩餐でイエス様は繰り返し弟子たちに「互いに愛し合う」ように話されました。これが教会の本質です。(ヨハネ15: 12)



4 まとめ


イエス様がこの世に来られたのは、イエス様を信じる者が誰も闇の中にとどまることのないためです。イエス様は、私たち人間の罪を赦したい、清めたいと思っておられます。私たちは十字架の赦しの恵みを聖餐式でいただきます。聖餐式のパンとぶどう酒には、イエス様がおられます。そして私たちを負い目から解放して下さいます。ぜひ聖餐式に来て、カルバリの恵みに預かりましょう。また教会はキリストの花嫁です。あなたもその神の教会の一員です。

このキリストの救いと教会を描いている箇所が詩篇69篇35節・36節です。「まことに神がシオンを救い、ユダの町々を建てられる。こうして彼らはそこに住み、そこを自分たちの所有とする。主のしもべの子孫はその地を受け継ぎ、御名を愛する者たちはそこに住みつこう。」

神様は、教会を建て直し、信徒の集うところを与えて下さいます。イエス様が治める教会、信徒の間に愛のある教会を目指していきましょう。


説教者:加藤 正伸 長老



<ヨハネの福音書 19章17〜37節>

17 彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。

18 彼らはそこでイエスを十字架につけた。イエスといっしょに、ほかのふたりの者をそれぞれ両側に、イエスを真ん中にしてであった。

19 ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。それには「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と書いてあった。

20 それで、大ぜいのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったからである。またそれはヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書いてあった。

21 そこで、ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「ユダヤ人の王、と書かないで、彼はユダヤ人の王と自称した、と書いてください」と言った。

22 ピラトは答えた。「私の書いたことは私が書いたのです。」

23 さて、兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。また下着をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目なしのものであった。

24 そこで彼らは互いに言った。「それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」それは、「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた」という聖書が成就するためであった。

25 兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた。

26 イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます」と言われた。

27 それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。

28 この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。

29 そこには酸いぶどう酒のいっぱい入った入れ物が置いてあった。そこで彼らは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝につけて、それをイエスの口もとに差し出した。

30 イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。

31 その日は備え日であったため、ユダヤ人たちは安息日に(その安息日は大いなる日であったので)、死体を十字架の上に残しておかないように、すねを折ってそれを取りのける処置をピラトに願った。

32 それで、兵士たちが来て、イエスといっしょに十字架につけられた第一の者と、もうひとりの者とのすねを折った。

33 しかし、イエスのところに来ると、イエスがすでに死んでおられるのを認めたので、そのすねを折らなかった。

34 しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。

35 それを目撃した者があかしをしているのである。そのあかしは真実である。その人が、あなたがたにも信じさせるために、真実を話すということをよく知っているのである。

36 この事が起こったのは、「彼の骨は一つも砕かれない」という聖書のことばが成就するためであった。

37 また聖書の別のところには、「彼らは自分たちが突き刺した方を見る」と言われているからである。