2024年2月25日



「ペテロのつまずきと救い」


新約聖書:ヨハネの福音書18章12節〜27節



今日の箇所は、イエス様がユダヤ人たちから裁判を受ける場面です。私たちはここで、ユダヤ人たちの罪、暗闇の力(ルカ22: 53)が他人事ではないことを見たいと思います。

また、この箇所には、ペテロが周りの人たちから「あなたはイエスの弟子ではないでしょうね」と問われ、三度イエス様を知らないと言う場面が出てきます。ペテロは自信を無くし、信仰を失いかけました。しかしその後立ち直り、教会の指導者として活躍します。ペテロがなぜ立ち直ることができたのか考えます。


1、ユダヤ人の裁判とユダヤ人の罪

イエス様は、役人たちや兵士たちによって、最初アンナスのところに、ついで大祭司カヤパのところに連れて行かれます。(24節を、13節のすぐ後に入れる解釈を取ります。)真夜中に開かれたユダヤ人たちの裁判で、大祭司はイエス様に、弟子たちや教えの事について尋ねます。イエス様は、ご自分がこれまで人々に公然と話をしてきたこと、会堂や宮で教えてきたことを話され、なぜ尋ねるのかと問い返します。「何も隠れて話してはいません」というイエス様の言葉は、大祭司やパリサイ人達とは対照的です。するとそばにいた役人が平手でイエス様を打ちます。大祭司に気にいられようとしたのかもしれませんが、これは明らかな違法です。

ヨハネの福音書にはありませんが、この時、祭司がイエス様に、「お前は神の子キリストなのか」と尋ね、イエス様が「あなたの言う通り」と答えます。このことを理由に、イエス様に死刑判決が下ります。その後、イエス様は平手で叩かれたり、唾をかけられたり、顔に目隠しして拳で殴られるなどの暴力を受けました。

さてユダヤ人たちの罪を確認しておきましょう。彼らは、第一戒「あなたには、わたし以外に、他の神があってはならない。あなたは自分のために偶像を作ってはない。」に背きました。ユダヤ人たちは神のことばを守るよりも、自分たちの財産や政治的権力のほうに関心があったからです。「この民は口先では神を敬うが、その心は神から遠く離れている」(イザヤ29: 13)

第五戒「殺してはならない。」レビ記19章15節に「不正な裁判をしてはならない。」とありますが、彼らは、理由もなくイエス様を殺す計画を立てました。

第八戒「あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。」マタイ(26: 60)とマルコ(14: 56)の福音書には、この裁判でイエス様について偽りの証言をする人が出てきます。出エジプト記 23章1〜2節には、「偽りのうわさを口にしてはならない。悪者と組んで、悪意のある証人となってはならない。多数に従って悪の側に立ってはならない。訴訟において、多数に従って道からそれ、ねじ曲げた証言をしてはならない。」とあります。

第九戒、第十戒。「あなたの隣人の家を欲してはならない。」嫉妬と貪欲を禁止している戒めです。ユダヤ人たちは民衆に人気のあるイエス様をねたみました。彼ら自身は世間の賞賛を求め、神の名のもとに自らを飾り、美しく見立て、自分たちを正当化しようとする人たちでした。イエス様は、「わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。お前たちは杯や皿の外側は清めるが、内側は強奪と放縦、偽善と不法で満ちている」(マタイ23: 25)と厳しく批判しています。

このように、祭司長たちと長老たちは、民に律法を守るように教える人たちでしたが、自分たちが神様の期待を裏切り、律法を破っていることがわからなかったのです。

「鎌倉殿の13人」と言う大河ドラマがありました。とても面白かったのですが、そこにあるのは殺人、偽り、嫉妬、貪欲。今の世界もそうです。知らず知らずそのような価値観、世の中の価値観が、私たちの心の中に入ってきていないでしょうか。

十戒は私たちに、罪とは何かを教えてくれます。イエス様はマタイの福音書5章で、「戒めのうち、最も小さいものの1つでも、これを破ったり、また破るように教えたりする者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。…もしあなたがたの義が律法学者やパリサイびとの義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。」と言われました。もし罪が示されたならば、悔い改めましょう。イエス様は清めてくださいます。


2、ペテロのつまずきと救い

ペテロのつまずきとは、サタンが悪意を持って、ペテロの信仰を失わせるようにたくらみ、ペテロがそれに足をすくわれたことです。

イエス様が捕まり連れて行かれるとき、ペテロはもう1人の弟子と二人で遠くからイエス様の後についていきました。その弟子が大祭司の知り合いだったので、門番の女に話して、ペテロは中庭に入ることができました。この時、門番の女がペテロに「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね」と尋ねます。ペテロは軽く、「違うよ」と答えます。しばらくペテロは大祭司のしもべや役人たちと一緒に炭火を起こして、立って暖まっていました。すると人々が彼に「あなたもあの人の弟子ではないだろうね」といいます。この時も軽く「弟子ではない」と答えます。

しかし問題はその後でした。大祭司のしもべの1人が、「私が見なかったとでも言うのですか。あなたは園であの人と一緒にいました。」と言った時ペテロの心は動転します。その人はペテロに耳を切り落とされた人の親類でした。ペテロは再び否定します。するとすぐに鶏が鳴いたのでした。ヨハネの福音書にはありませんが、他の福音書には、ペテロが「外に出て行って激しく泣いた」と記されています。ペテロは、サタンのたくらみに足をすくわれたのです。

ペテロは、最後の晩餐の席で、「主よ、あなたのためならいのちも捨てます。」と言いました。ペテロはイエス様が神の子であることを信じ、どこまでもついていこうと思っていました。ルカの福音書では「主よ、あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」(22章34節)とあります。そのペテロが、誘惑されて偽りの証言をしたのです。ペテロは自分に失望し、イエス様に申し訳ない気持ちで泣きます。

では、そのペテロはどうして立ち直ることができたのでしょう。

今日の招詞のみことばです。1ペテロ1章3節「神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。」ペテロが立ち直ったのは、十字架と復活のイエス様を信じたからです。ペテロは、十字架と復活、聖霊を受けて新しく生まれたのです。


3、まとめ

私たちも、同じように様々な誘惑に会います。つまずき、自分に失望します。しかし、十字架と復活のイエス様を信じ、罪を悔い改めて祈るとき、イエス様は立ち直らせて下さいます。

教会がある理由もここにあります。礼拝は信徒が、週に一度十字架と復活のイエス様に出会う所です。教会は、イエス様の赦しを求めてくる人たちや新たないのちを求めてくる人たちが集まる所です。信徒だけではありません。イエス様を求めて来られる未信者の為にも、教会は門を開いています。

信仰が浅い人たちの中には、友達から、「お前キリスト教なの?」と聞かれて、思わず、「俺は違うよ」と言ってしまったり、「宗教を信じてる者は心の弱い人だ。」と言われて自分の信仰に自信をなくしてしまう人もいると思います。このようなことは珍しいことではありません。あのペテロでさえも誘惑されてイエス様を知らないと言ったのです。しかしペテロは十字架と復活のイエス様を信じて立ち直りました。立ち直らせていただきました。もし自分に失望したまま、十字架と復活のイエス様の元に行かなければ、イエス様から離れてしまうことになります。

ですから、私たちは、第一に主の祈りにあるように、誘惑に陥らないように祈りましょう。自分のためだけでなく、兄弟姉妹のために祈りましょう。また、つまずいても、ペテロのようにイエス様の十字架を仰ぎ復活の主を信じれば立ち直ることを伝えましょう。2つ目に、イエス様は、立ち直った者には、兄弟たちを力付けていくことを望んでおられます。立ち直った人は兄弟姉妹を力づけてあげましょう。日吉教会に関わるすべての人が、イエス様の祝福に預かれるように祈りましょう。



説教者:加藤 正伸 長老




<聖書箇所>

ヨハネの福音書 18章12〜27節

12 そこで、一隊の兵士と千人隊長、それにユダヤ人から送られた役人たちは、イエスを捕らえて縛り、

13 まずアンナスのところに連れて行った。彼がその年の大祭司カヤパのしゅうとだったからである。

14 カヤパは、ひとりの人が民に代わって死ぬことが得策である、とユダヤ人に助言した人である。

15 シモン・ペテロともうひとりの弟子は、イエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いで、イエスといっしょに大祭司の中庭に入った。

16 しかし、ペテロは外で門のところに立っていた。それで、大祭司の知り合いである、もうひとりの弟子が出て来て、門番の女に話して、ペテロを連れて入った。

17 すると、門番のはしためがペテロに、「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね」と言った。ペテロは、「そんな者ではない」と言った。

18 寒かったので、しもべたちや役人たちは、炭火をおこし、そこに立って暖まっていた。ペテロも彼らといっしょに、立って暖まっていた。

19 そこで、大祭司はイエスに、弟子たちのこと、また、教えのことについて尋問した。

20 イエスは彼に答えられた。「わたしは世に向かって公然と話しました。わたしはユダヤ人がみな集まって来る会堂や宮で、いつも教えたのです。隠れて話したことは何もありません。

21 なぜ、あなたはわたしに尋ねるのですか。わたしが人々に何を話したかは、わたしから聞いた人たちに尋ねなさい。彼らならわたしが話した事がらを知っています。」

22 イエスがこう言われたとき、そばに立っていた役人のひとりが、「大祭司にそのような答え方をするのか」と言って、平手でイエスを打った。

23 イエスは彼に答えられた。「もしわたしの言ったことが悪いなら、その悪い証拠を示しなさい。しかし、もし正しいなら、なぜ、わたしを打つのか。」

24 アンナスはイエスを、縛ったままで大祭司カヤパのところに送った。

25 一方、シモン・ペテロは立って、暖まっていた。すると、人々は彼に言った。「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね。」ペテロは否定して、「そんな者ではない」と言った。

26 大祭司のしもべのひとりで、ペテロに耳を切り落とされた人の親類に当たる者が言った。「私が見なかったとでもいうのですか。あなたは園であの人といっしょにいました。」

27 それで、ペテロはもう一度否定した。するとすぐ鶏が鳴いた。