2024年1月21日
「イエスの御名によって祈りなさい」(要約)
新約聖書:ヨハネの福音書16章17節〜33節
1 これまでの内容
最後の晩餐で、イエス様は、主に5つのことを弟子たちに話されました。
第一に、ご自分の愛を弟子たちに伝えました。イエス様が最初になさったことは弟子たちの足を洗うことでした。
第二に、ご自分が神の御子であることを伝えました。13章19節は2017版では「わたしはある」と訳され、神様の自己顕現の表現が使われています。
第三に、父なる神様の御名を現しました。万物の創造主はイエス様の父です。14章11節。
第四に、聖霊なる神様のことを弟子たちに伝えました。ご自分が昇天したあと助け主を遣わすこと、この方は弟子たちにすべてのことを教え、思い起こさせてくださること。またイエス様を証しし、すべての真理に導き、イエス様の栄光を現わされることを伝えました。
第五に、新しい戒めです。それは信徒が互いに愛し合うということです。(13章34節)
イエス様は、愛する弟子たちに、ご自分が昇天されたのち弟子たちが信仰を守っていく上で大切なことを話されたのです。
2 「しばらくすると」 6章後半
イエス様は、これから弟子たちが経験する苦しみと、その後の大きな喜びについて預言します。(17節) 事実、この後弟子たちはイエス様を失い、悲しみ、失望落胆します。しかしイエス様は復活され、弟子たちは大きな喜びに満たされます。信仰者は、悲しみ苦しみの後で喜びが来ることを知っています。イエス様が私たちのことを全てご存知だからです。私たちは先のことをイエス様に委ねることができるのです。
3 その日
23節の「その日」とは、イエス様が復活され、弟子たちに聖霊が与えられる日のことです。今日もその日です。私たちは、イエス様の十字架により罪赦され、イエス様の復活により聖霊が与えられ、新しいいのちに今日生きています。また14章20節の「その日」は、イエス様と父なる神様がイエス様を愛して従う人のところに来て、その人とともに住む日ということです。
4 イエス様の愛にとどまりなさい。
今日の箇所から2つのことを心に留めましょう。一つは「イエスの愛にとどまりなさい」。27節にあるようにイエス様を信じる私たちは、神様から愛されています。しかし私たちは本当に主のみことばにとどまっているのでしょうか。礼拝や聖餐式を大切にしましょう。
二つ目は、「イエスの御名によって祈る」。祈りはイエス様の名を利用して自分の欲求を満たすことではありません。私たちのために十字架につけられ、罪と死と悪魔の支配から私たちを解放してくださった方のお名前。3日目に甦り、私たちに聖霊を与え、新しいいのちによって光のなかを歩めるようにしてくださった方のお名前であることを覚えて祈りましょう。
5 弟子たちを愛し気遣うイエス様
イエス様は、この後、弟子たちが自分を見捨てることをご存じでした。しかしイエス様は弟子たちに言われます。「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝ちました。」(33節)
イエス様はどこまでも弟子たちを愛し気遣われました。そのように、イエス様は今、私たちのことを愛し、気にかけておられます。罪と死と悪魔に決定的な勝利を得られたこのイエス様を信じましょう。イエス様の愛に留まりましょう。イエス様の御名によって祈りましょう。イエス様は私たちを守り導いてくださいます。
説教:加藤 正伸 長老
<ヨハネの福音書16章17節〜33節>
17 そこで、弟子たちのうちのある者は互いに言った。「『しばらくするとあなたがたは、わたしを見なくなる。しかし、またしばらくするとわたしを見る』、また『わたしは父のもとに行くからだ』と主が言われるのは、どういうことなのだろう。」
18 そこで、彼らは「しばらくすると、と主が言われるのは何のことだろうか。私たちには主の言われることがわからない」と言った。
19 イエスは、彼らが質問したがっていることを知って、彼らに言われた。「『しばらくするとあなたがたは、わたしを見なくなる。しかし、またしばらくするとわたしを見る』とわたしが言ったことについて、互いに論じ合っているのですか。
20 まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜ぶのです。あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。
21 女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。
22 あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。
23 その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。
24 あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。
25 これらのことを、わたしはあなたがたにたとえで話しました。もはやたとえでは話さないで、父についてはっきりと告げる時が来ます。
26 その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるのです。わたしはあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません。
27 それはあなたがたがわたしを愛し、また、わたしを神から出て来た者と信じたので、父ご自身があなたがたを愛しておられるからです。
28 わたしは父から出て、世に来ました。もう一度、わたしは世を去って父のみもとに行きます。」
29 弟子たちは言った。「ああ、今あなたははっきりとお話しになって、何一つたとえ話はなさいません。
30 いま私たちは、あなたがいっさいのことをご存じで、だれもあなたにお尋ねする必要がないことがわかりました。これで、私たちはあなたが神から来られたことを信じます。」
31 イエスは彼らに答えられた。「あなたがたは今、信じているのですか。
32 見なさい。あなたがたが散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとり残す時が来ます。いや、すでに来ています。しかし、わたしはひとりではありません。父がわたしといっしょにおられるからです。
33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」