2022年4月24日



「神の友 アブラハム」

旧約聖書:創世記22章9節〜19節



1、初めに


今日は、3月27日に田口聖牧師が取り次いでくださった創世記22章からのメッセージを振り返り、アブラハムがイサクを捧げた出来事の意味をイエス様の十字架の贖いとの関係について、また、この出来事が私たち現代のクリスチャンにとってもいかに重要な出来事であったのかについて考えてみたいと思います。


2、3月27日の説教の振り返り


3月27日に田口牧師が最後の説教をしてくださいました。創世記50章の中で最大のクライマックスと言えるのがこの22章のアブラハムによるイサクの燔祭と言われる箇所です。

説教で「神の大いなる矛盾」と語られました。それは、神がアブラハムに対して何度もアブラハムを祝福し、子孫が空の星、海の砂、地のちりのように増えると約束しておられたのに、アブラハムのただ一人の息子イサクを生贄として捧げてしまっては、子孫となるべき者がいなくなるからです。

アブラハムは、神さまからの約束は偽りでも矛盾でもないと信じる信仰を持っていました。神様がどのように解決してくださるのかはっきり知っていたとは思えませんが、信仰によってイサクを屠ろうとしました。そのとき、御使いが現れ、「あなたが神を恐れることがよくわかった」と語り、イサクに手をかけることをストップするとともに、身代わりの雄羊を備えてくださったのでした。


3、アブラハム契約の再確認


神さまはこの22章18節で「あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」と仰いました。この22章以前にも12章、13章、15章、そして17章でアブラハムにその子孫を祝福するという約束(片務契約)をされています。

特に15章6節では、「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」と記されており、まさに行いによらない、信仰のみによる義が主によって認められたことが記録されています。

22章では、アブラハムが神の命令に従順に従う姿からその信仰を確認し、アブラハム契約についてもアブラハムの子孫によって「地のすべての国々は祝福を受けるようになる」ことをはっきりと私たちに伝えています。


4、神の友アブラハム


ヤコブ手紙2章23節によればアブラハムはその信仰のゆえに神の友と呼ばれました。

「神の友」とは畏れ多い表現のようですが、例えば創世記18章17節では「主はこう考えられた。『わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。…』」と記されており、アブラハムが一人のしもべにすぎないのであれば、神さまは相談などしないと思われるのですが、アブラハムにソドムとゴモラを滅ぼすつもりであることを隠しておくべきだろうかと自問したという記事があります。このことからも神さまはアブラハムを友人のように扱っていると言っても良いでしょう。

ヨハネの福音書15章15節でイエス様は、「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」と仰っています。

「しもべ」と「友」の違いは、「しもべ」には言わないようなことを「友」には知らせるということです。この22章で神さまは、アブラハムにご自分が持っておられる人間を救う計画をアブラハムに知らせよう。伝えようということではなかったのかと思うのです。

モリヤの山でイサクを捧げるという出来事を通して、神さまが計画している罪ある人間を罪から救い出す計画をアブラハムに知らせようとされたのではないでしょうか。


5、イサクを捧げる出来事とイエスさまの十字架の死と復活の共通点


ヘブル人への手紙11章17〜19節が語っています。

17 信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。

18 神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われたのですが、

19 彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。

19節に「型」とあります。「型」はタイプ、パターンを意味し、イサクを捧げる出来事が、イエス様が十字架に掛かり、三日目に復活されることを予表する「型」となっているというのです。


(1)モリヤの山とは(歴代誌U3:1)

3:1 ソロモンは、エルサレムのモリヤの山で主の宮の建築を始めた。そこは、主が父ダビデにご自分を現され、ダビデが準備していた場所で、エブス人オルナンの打ち場があったところである。

モリヤの山はエルサレムの神殿があったところと言われています。現在は、「岩のドーム」といってイスラム教徒が管理する所となっていますが、中に入るとその場所を見ることができます。


(2)イサクとイエスさまの従順さ

イサクもイエスさまもその死を前にして全く抗おうとせずに従順に受け入れました。


(3)よみがえり

アブラハムは住んでいたベエル・シェバから三日の道のり(約60km以上)を歩いてモリヤの山に着きイサクを捧げようとしました。出発の時にはイサクを捧げたものと思っていました。その三日間はまさに暗黒の三日間だったことでしょう。イエスさまも十字架に掛かられよみに降り三日間を闇の中で過ごされました。イサクには天からストップがかかり、イエスさまは死からよみがえられました。


(4)身代わりの羊

イサクにストップがかかったときに、藪に角をひっかけた雄羊が与えられ、イサクの身代わりとなりました。イエスさまは十字架に掛かられ、私たち人間の罪の身代わりとなられました。身代わりが与えられるという「型」を表わしています。バプテスマのヨハネがイエスさまを見て「神の子羊」と呼んだことを思い出します。


6、「あなたが神を恐れることがよくわかった。」


神さまは、アブラハムが命令通りイサクを捧げる姿を見て、「分かった」おっしゃいました。私たちもイエスさまの十字架上の贖いを見て「分かった」と言うべきではないでしょうか。


7、「わたしは自分にかけて誓う」(22章16〜18節)


12章、13章、15章、そして17章にアブラハムの子孫を祝福するという約束が記されていると書きましたが、この22章にはアブラハムの子孫のイエスさまを通してわたしたちにも希望と約束が与えられていることが示されています。

16 仰せられた。「これは主の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、

17 わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。

18 あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」ここで、あなたの子孫と記されていますが、子孫は単数形で書かれており、救い主イエスさまを示しています。その祝福が地のすべての国々に及ぶというのです。

この22章16〜18節についてヘブル人への手紙6章13〜20節が解説をしています。

13 神は、アブラハムに約束されるとき、ご自分よりすぐれたものをさして誓うことがありえないため、ご自分をさして誓い、

14 こう言われました。「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす。」

15 こうして、アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました。

16 確かに、人間は自分よりすぐれた者をさして誓います。そして、確証のための誓いというものは、人間のすべての反論をやめさせます。

17 そこで、神は約束の相続者たちに、ご計画の変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されたのです。

18 それは、変えることのできない二つの事がらによって、──神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません──前に置かれている望みを捕らえるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるためです。

19 この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側に入るのです。

20 イエスは私たちの先駆けとしてそこに入り、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。


神さまは、変えることのできない二つの事がら(神さまの約束と誓い)によって私たちに救いの確かな保証を与えてくださいました。その確かさは「安全で確かな錨」だと言うのです。イエスさまの十字架の贖いが成し遂げられるまでは、神殿の至聖所には大祭司が特別の衣装を身に着けて入るのでしたが、イエスさまの十字架の贖いが成就したときに神殿の垂れ幕が二つに裂けました。これは、私たちが自由に神さまの前に進み出ることが許されるようになったことを表わします。イエスさまの救いの御手の前に進み出て、私たちは船が港で錨を下すように、罪の苦しみから解放され、安心して休むことが出来るようになったのです。


8、まとめと適用


・神さまは、ご自分がアブラハムの子孫(キリスト)によって十字架の贖いの業をなそうとしていることについて、アブラハムに具体的・体験的に伝えるためにイサクを捧げさせるよう命じました。

・アブラハムの信仰がイサクを捧げるという行為によって改めて目に見える形で証明された。アブラハムの信仰は、既に15章6節で明らかになっていましたが、聖書を読む私たちにも目の前で繰り広げられているかのようにアブラハムの信仰を見ることができました。私たちにも具体的にアブラハムの信仰を見せてくださいました。

・御使いがアブラハムに「あなたが神を恐れることがよくわかった」と言ったように、私たちには主イエスの十字架が示されているのですから、私たちも神さまの救いの計画、救いの御業が「わかった」と言うべきではありませんか。

・この22章におけるアブラハムへの祝福と約束は、私たちへの約束と祝福につながるもので、「あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。」と語られ、はっきりと子孫(キリスト)によって祝福されることが記されています。私たちもすべての国の人々にこの祝福を伝えるべきではありませんか。

・ヘブル人への手紙6章13〜20節によれば、神さまがご自分にかけて誓われたこの約束・誓いほど確かなものは無く、知れを「錨」と表現しています。この「錨」があればどんな荒波、暴風にも揺らぐことがありません。船が安全な港に「錨」を下すように、私たちもイエスさまの御手の守りの中で安心して生きていこうではありませんか。



説教:新宮 昇 長老



<創世記 22章9〜19節>

 9 ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。

10 アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。

11 そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」

12 御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

13 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。

14 そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。

15 それから主の使いは、再び天からアブラハムを呼んで、

16 仰せられた。「これは主の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、

17 わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。

18 あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」

19 こうして、アブラハムは、若者たちのところに戻った。彼らは立って、いっしょにベエル・シェバに行った。アブラハムはベエル・シェバに住みついた。