2019年9月8日


「パウロはケンクレヤで髪を剃った」
使徒の働き 18章18〜23節

1.「前回まで」
 パウロはコリントでの一年半後もユダヤ人達の反発を受け、法廷のローマの総督のところに連れて行かれ「この人は、律法に背いて神を拝むことを、人々に解き勧めています」と訴えられます。しかし彼ら訴えるユダヤ人がそのように律法について訴えるのであるなら、聖書に求め、彼らは聖書から訴え、対応すべきであるのに、それをせずに「ローマの総督に訴える」というその滑稽さ、その矛盾を総督自身から指摘されその訴えは退けられました。人間的な思いから訴えていたユダヤ人達の欲求は満たされないために、彼らは会堂管理者のソステネを総督の前で打ちたたいたのでした。そのように人間的な思いから出たものは人間的な結果にしかならないのですが、神から出た約束は、人の思いをはるかに超えた導きによってそれは果たされるという恵みを見て来たのでした。パウロのコリントでの宣教も別れと一区切りを迎えるのが今日のところですが、パウロのある行動から私達は学ぶことができるのです。

2.「宣教の終わりに」
「パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。」18節
 パウロはその法廷に引っ張り出された出来事の後も、コリントへ長らく滞在をしました。腰を据えて宣教をしたのでした。しかしパウロはコリントを去ることを決めコリントの兄弟姉妹達に別れを告げるのです。そして「シリアへ向けて」、つまり最初に派遣されたアンテオケへと帰るのです。その船出の時「ケンクレア」で
「一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。」
 とあるのです。「誓願」、「髪を剃った」とあります。旧約聖書の民数記の6章に詳しく書かれていますが、ユダヤ人の儀式で、何か願い事があり、叶えて欲しい時、そのために自分を聖別する必要があるという決意が起こった時に誓いを立てるのです。その時、男女問わずに、頭にカミソリをあててはいけない。つまり、髪を切ったり剃ったりしてはいけない。伸ばし続けなければいけないと定められていたのでした。つまりパウロが「髪をそった」とあるのは、誓願の終わりを意味しています。私たちはこのところを、パウロは、何かこの先に願い事があって、願掛けのために丸坊主にしたと連想しやすいのですが、そうではなくその逆で、むしろ2回目の宣教旅行の最初、アンテオケを出る時に、パウロは何らかの誓願を建てたと思われます。その願いが何か詳しくはわかりませんが、新たな宣教に先立って願い事があったと思われます。彼にとっては二度目の宣教旅行であり、1回目とは違う新たな目的は、ユダヤ人への福音宣教とともに異邦人へも宣教をする必要があるという新たな召命もあったわけでした。その辺りに誓願の内容があるのかもしれません。パウロはなんらかの特別な願いをもって誓願を立てて、これまでの2回目の宣教旅行を始めたのでした。しかしこのコリントを去り船に乗る前にパウロは髪を剃ったのでした。それはその時誓いを立てたという意味ではなく、誓願を自分で解いたことを意味しているのです。ここにはどのような意味があるのでしょうか?それはパウロの2回目の宣教のある意味、まとめとも言えます。

3.「2回目の宣教旅行を振り返ると〜願い誓った通りだったのか」
A,「アジヤにて御霊に禁じられマケドニアへ」
 2回目の宣教旅行を振り返って見ましょう。パウロは最初はトルコ、つまりアジヤと呼ばれる地域を巡っていました。それは1回目の宣教旅行で巡った地でもありました。パウロは最初アンテオケを出るときには明らかに、そのアジヤに「彼の」思い描いた、計画をおいていました。「彼の」計画があるということは、そこには「彼の」願い、思い、願望、希望があったのです。しかしその計画や願望はどうであったでしょうか。思い出してください。パウロはアジア方向へ足を向け巡り始めた時に、御霊に禁じられ、それを許さなかったとありました(16:6)。それでパウロは一度、西に向かい、トルコ側のエーゲ海沿岸地域まできますが、しかしそこでも一度、アジヤ方向へと引き返そうともしており、再度、御霊によって禁じられていました(16:7)。つまりパウロの願い、計画の一旦と、それにこだわろうとするパウロの人間的な心の一端を見ることができます。しかしそこでパウロが予想も計画も全くしていなかった道へとパウロは導かれることになるでしょう。16章9節でしたが、一人のマケドニア人の幻が「マケドニアへ渡ってきて、私たちを助けてください」と語りかけたのでした。そこでパウロは「自分の願いや計画」では思ってもみなかった、海を渡ってギリシャ・マケドニアに渡るところにこそ、神のみ心があることを悟ったでしょう。つまりパウロが最初に願い、計画した通りではなかったのです。
B,「ギリシャ・マケドニアにて」
 そのようにして海を渡った先の、ギリシャ・マケドニアのピリピでもそうです。ルデヤ家族との出会いと彼らの救いという出来事がありながらも予想だにもしない、占いの霊に取り憑かれた女につきまとわれ大騒ぎされることによって、パウロはやむなくその霊を追い出しました。しかしそれをきっかけとして、占いで利益が得られなくなった女の主人に訴えられて、鞭打たれ、牢獄に入れられます。ここには思いも願いもしないことがいくつも続きました。壮絶な痛みと拘束です。宣教が物理的には止まってしまいました。またパウロもシラスもローマ市民ですから、本当はローマ市民だといえば、鞭打たれることはありませんでした。しかし訴えられた時、彼らはそれを言おうとしたかもしれませんが、言うことが出来ませんでした。まさに願いも計画も予想もしなかったところに彼らは追い込まれたのです。しかしそのことを通してこそ、二人が思いも計画もが思いもしなかった看守家族の回心と救いがあったではありませんか。
C,「テサロニケ、ベレヤ〜ユダヤ人たちの反抗、そして一人のアテネ」
 そのピリピの後に行ったテサロニケではどうであったでしょう。すぐにユダヤ人の反発と暴動が起こり、長く滞在することはできず宣教は思うように出来ませんでしたし、そのあとのベレヤのユダヤ人たちは耳を傾け信じましたが、腰をすえて宣教したりする間も全くなく、テサロニケのユダヤ人たちがわざわざわ80キロ先のベレヤまでやってきて再び、迫害され去らなければならなくなりました。そのようにして追われたアテネでは、これも全く予期しないこととして、シラスとテモテが一緒ではなく、一人での宣教ともなりました。
D,「コリントでの挫折」
 そしてコリントは見てきた通りです。それこそアクラとプリスキラという協力者が加わり、シラスとテモテが合流したことによって彼も熱が入り、いろいろ考えたり思い描いたり、誓いを果たすべく宣教に熱心になりました。しかしユダヤ人とギリシャ人になんとか福音を承服させようというその試みと努力であったのですが、ユダヤ人の反発と暴言に会い、彼自身も「そうはしまい」「そうはしてはいけない」と「思っていた」のとは異なる真逆の対応をしてしまい、着物をはらって、怒りと暴言で返し会堂から去ってしまいました。それも願った通り、思い描いた通りではないことになってしまいました。しかし、そこで黙ってしまい語れなくなったパウロにイエスは、責めるのでも裁くのでも、見捨てるのでもない、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」(18章10節)と言って励まし再び立たせたのでした。それは沈んでいて黙ってしまい語ることが出来なくなり、神の責めを感じ自分を責める「思い」になって、もう立てないと「思って」いた彼にとっては、まさに「思いをはるかに超えた」神の愛と憐れみと力であったことでしょう。
E,「一年半後の法廷」
 そして前回見てきた通りです。その後も一年半腰をすえて福音を語ってきたこのコリント。それでも人間が思い描き、計画し、期待したであろう通りにはならず、一年半の福音の解き明かしでも、ユダヤ人たちはなおも受け入れず反発し、総督の前に引き出します。しかしそこでもパウロが弁明しようと口を開こうとする前に、総督の方から「律法のことで告発するなら、律法から解決すれば良い」と、もっともな理由によってその訴えは退けられあっけなくパウロはその場から救済されました。それもまたパウロが予期したこと、思い描いたことを超えた神の導きであったのです。

4.「そして、髪を剃る」
 そして今日のこのコリントを去る時、ケンクレアで髪を剃ったことに繋がっているのです。その宣教へ出発する始めに立てた、彼の願い、誓願、しかしパウロは髪を剃りました。つまり彼の願い、彼の誓願を、そこで自分から解いたのでした。彼の願い、誓願の終わりです。その意味、パウロの至った、いや自ら至ったのではない、ここに導かれた信仰は一体何なのでしょうか?これまで見て来たことに十分答えがありますが、このところにもあります。この後ケンクレアから船が出てシリアへ向かう途中、パウロ一行はエペソに立ち寄ります。そこでパウロは会堂で福音を伝え、エペソの人々はもっと長く留まるようにと彼らの願いを伝え頼みますが、しかしパウロはそこでこう言っています。
「人々はもっと長くとどまるように頼んだが彼は聞き入れないで「神の御心ならまたあなたがたのところに帰って来ます」と言って別れを告げエペソから船出した。」20〜21節
A,「神のみ心なら」の信仰への導き
 パウロはとても大事なことを言っています。「神のみこころなら」と。誓願を立て、つまり特別な願いと誓いを立て、計画した通り、思い描いた通り、願った通りに彼は行こうとしましたが、しかし願った通りにはなりませんでした。計画した通りにもことは進みませんでした。誓願ですから「誓い」も立てたました。自分は精一杯、従う、果すと。しかし、アジヤで「聖霊によって」禁じられた地に彼は一度戻ろうとしました。コリントでは、イエスが言われたように、足の裏の塵を払って「神の口が近づいた」と言って去るのではなく、つまりイエスに完全に従ったのではなく、それどころか怒りと感情で去って行きました。黙ってしまいました。語れなくなりました。誓いは決して果たすことはできませんでした。しかしこの宣教旅行で明らかになったのは、先ほど振り返ってあげた一つ一つの出来事の中で、主イエスはともにおられ、全てパウロの思いをはるかに超えた主イエスの御心こそがなり、主イエスの計画こそが果たされてきたということではありませんか?そしてパウロは完成した聖人では決してなく、パウロ自身の信仰もこの宣教旅行で、ともにいてくださるイエスによって導かれ一つの信仰に成長させられているのです。「主の御心がなるように」と。その「主の御心がなるように」の信仰こそ幸いであり、ゆえに、主に委ねることこそ、信仰が導かれるべき高みであるということです。何よりそれこそイエスに「似たもの」です。ゲッセマネの祈りを連想できます。主よ。この杯を、この十字架の死を取り除けてください。がイエスの肉の願いでした。しかしイエスは祈りを結んでいます。「しかし、父よ。あなたの御心がなるように」と。そしてそのイエスの肉の願いの通りにではなく、父なる神のみ心がなったその十字架と復活にこそ主がイザヤを通して約束した、
「しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。」イザヤ53:10
 の大いなる救いが私たちのところに来たでしょう。
B,「願い、そして「神のみ心がなるように」」
 皆さん。ここから教えられます。誓願を立てること、願いことは素晴らしいことです。イエスは祈りなさい、求めなさい、と言っておられる通りです。願い求め、そこで人間は思い描いたり、計画したりもし、それももちろん良いことですが、しかし、そうなるから良く、そうなるから神はおられ、神の祝福があり、逆にそうならないから、神はいない。信じられない。祝福がない、となり、神に対しても人に対しても、責任探し、犯人探しをしたり、責めたり、裁いたりになるなら、それは実は、もう神を神としていない、願い通りにならないことに心配したり怒る自分が神になってしまっています。そうなるくらいなら、むしろ願わないほうがいい、求めないほうがまだましです。自分が主となってしまっているのですから。私たちに与えらえれている信仰と、そして求める幸い、祈る幸い、願う幸い。それは主イエスが神として、私たちの求めや願いや思いを求める先より知っておられ、そして、主イエスが私たちの思いや願いをはるかに超えた「主の御心」を行ってくださる、という確かさ、そしてそのことを信じることができる、信じるところに生まれる「平安」に他なりません。祈って平安であるのは「イエスが全てのことに働いてことを行ってくださる。主の御心を行ってくださる」と信じる時にこそあります。祈って平安がないのは、自分の願望が主となり縛られているからです。パウロはそのことをもちろん前もわかっていたことでしょう。しかし人間は不完全で弱いからこそ、そのことを忘れてしまい、彼も何度も失敗しましたが、そのわかっていることを、むしろさらに強められ、ますますわかったのです。「主の御心なら」と。そして、
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ローマ8:28
 と。そこにこそ、時が良くても悪くても、福音が与える平安があるのだと。それが主がしてくださる私たちの真の成長なのです。私たちも同じ信仰が与えられ、同じ救い主イエスが今週もともにおられます。福音によって今日も罪の赦しをいただき、安心してここから出て行きましょう。